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辻野晃一郎『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』(新潮社、2010年) [読書]

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ウォルター・アイザックソンの『スティーブ・ジョブズIII』(講談社、2011年)を読んで思ったのは、日本の電機メーカーはどうしてダメになってしまったのか、という問いだ。そのヒントを得るべく、この春、数冊の「ソニー本」を読んでみた。ここに取り上げる辻野氏の本は、製品開発のマネジャーとして最前線にいた著者の実体験を描いたものだ。

 

彼は、1957年生まれ(私と同年齢だ!)、慶応の工学研究科を出てソニーに入社したエンジニアで、会社派遣でカリフォルニア工科大学にも留学したエリートだ。その後、デスクトップパソコン「VAIO」の黒字転換、テレビのチャンネル・サーバー「コクーン」の開発、DVDレコーダー「スゴ録」の大ヒットなどで重要な役割を果たす。

 

しかし、スゴ録の大成功に対し、あるトップマネジメントは評価するどころか、「まあ、ソニーだからなぁ。出せば売れるんだよ」と言い放ったという(p. 149)。さらに、社内では別のカンパニーで、別のDVDレコーダー(ソニー・コンピュータエンタテインメントのPSX)の開発が始められており、スゴ録の大成功にも関わらず、PSX側のカンパニーに吸収統合され、辻野氏はお役御免となってしまう。

 

彼のソニーでの最後の仕事となったのは、iPodに打ち勝つべき新たなウォークマンの開発だった。重要な証言なので、少し長くなるが、以下に抜粋、紹介する(本書、第7章「ウォークマンがiPodに負けた日」より)。

 

     *     *     *

 

iPodiTunesを商品化し)アップルは徐々にパーソナルオーディオの市場を席巻し始めた。本来、この脅威に対抗すべきは、ソニーのウォークマン部隊であったが、彼らの危機意識は低く、動きは悪かった。勝者の驕りというか長いことウォークマンのポジションは盤石で、ウォークマンが駆逐される時が来るなどということを誰も想定すらしていなかったのであろう。

 

危機意識を強めたソニーがようやく重い腰を上げたのは、2004年の年末のことであった。それまでの、ハードウェア側と音楽コンテンツ側のばらばらの動きを改めようと、日本のハードウェア部隊と、米国の音楽コンテンツ部隊を統合した「コネクトカンパニー」が設立されたのである。

 

(私に)突如、このコネクトカンパニーをやって欲しいという声がかかった。しかし、それを最初ははっきりと断ったことも既に述べた。・・・唯一可能性があるとすれば、ソニー本体とは別の新会社を起こしてチャレンジする以外にないと思い、その考えに沿った提言をまとめたのだ*。会社からは、年が明けたら私が提言した方向で進めるという返答があり、最終的にはコネクトカンパニーを引き受けることに決めた。

 

* 提言には、「ソニー本体とは別の会社にして、ソニーの出資が50%未満の新会社を作ってチャレンジする」ことが含まれていた(p. 23)。

 

しかし、コネクトカンパニーの立ち上げは最初から難航した。ウォークマンはパーソナルオーディオ・カンパニー(PAC)の管轄になっていたが、コネクトカンパニーはPACとは別に作られたので、まず、ウォークマンの主力部隊を大至急コネクトカンパニーに移さねばならなかった。

 

本来であれば、カンパニー発足時にPACをコネクトカンパニーに統合するような組織変更や人事をトップダウンで断行しておくべきであるのに、PACを残したままコネクトカンパニーが設立され、組織の立ち上げは当事者同士の調整に委ねられてしまったのだ。年明けの設立の話もいつの間にかうやむやになった。

 

当然のことながら、コネクトカンパニーはPACから敵対視され、リソースの統廃合にはあの手この手で抵抗されて四苦八苦した。

 

コネクトカンパニーの本質は、ソニーのエレクトロニクスビジネス側のハードウェアチームと、エンターテインメントビジネス側のコンテンツチームを密結合させて、ネットワーク時代に合わせた一気通貫の新たな生態系(エコシステム)を構築することにあった。エレキは日本中心、コンテンツは米国中心に動いていたので、この統合は、日米にまたがったリソースの統合でもあった。そのため、私はハードウェアを主に担当する立場、ということになり、もう一人、コンテンツを主に担当するフィル・ワイザーというアメリカ人のプレジデントが任命された。・・・ コネクトカンパニーは、私と彼の二人のコ・プレジデントの共同責任体制、ということになったのである。

 

二人のプレジデントによる共同経営といういびつな布陣が、コネクトカンパニーの意志決定を複雑なものにしたことは間違いないが、それは、今や、エレクトロニクス産業とエンターテインメント・コンテンツ産業の両方のビジネスを保有し、それらをグローバルに展開するソニーという会社の宿命でもあり、その複雑系を象徴する布陣でもあった。

 

日に日に勢力を伸ばすアップルを追撃するためには年末商戦を逃すわけにはいかなかった。9月(2005年)に、半ば見切り発車で新商品発表会を行い、アップル追撃の切り札としてウォークマンAシリーズとコネクトプレーヤーによるソニーウォークマンの新しい生態系をアピールした。

 

しかし、そうした我々をあざ笑うかのように、アップルは同じ日に彼らの次の戦略商品であったiPod nanoの発表をぶつけてきた。新商品発表会でスピーチをする直前、スタッフが入手してきたiPod nanoが手元に届いた。彼らの新製品を一目見た瞬間に、私は敗北を悟った。

 

予想されていたこととはいえ、発売後のコネクトプレーヤーに対する評判は散々なものであった。新しい執行部は、なぜか最初からコネクトカンパニーに対して厳しかったが*、これによって遂にコネクトカンパニーは設立後わずか1年余り、ようやく最初の商品を世に出した直後に、全面見直し、という事態となり、実質解体されて、もともとのパーソナルオーディオ部門の中に再度組み込まれることとなった。

 

* 20059月、「ウォークマンAシリーズ」の試作機を担当副社長に見せに行ったところ、「そもそもお前はなんでこんなものを作ってるんだ? 余計なことはやめてアップルに行ってiTunesを使わせてくれと言って頭を下げれば済む話だろ」と言われたという。著者が「あなたにはプライドというものはないんですか?」と問い返すと、副社長の返事は、「プライド? お前、プライドでいくら儲かると思ってるんだ?」だった(p. 24)。

 

ソニーのガバナンスが混乱する中で生まれたコネクトカンパニーは、最初から短命を運命づけられていたのかもしれないが、こうして継続性を断たれ、その構想を具体化していくことも、失敗から学んでその経験を次の展開に生かすことも、出来なくなった。

 

従来のやり方では勝負できない時代になったからこそ、本社直轄でコネクトカンパニーが作られたはずであったが、それは再び、従来のやり方の中に戻されていった。

 

コクーンで道を断たれ、再びコネクトで道を断たれた自分にとって、これ以上ソニーに残る理由は、もはやどこにも見当たらなかった。

 

     *     *     *

 

カンパニー同士の協力関係の欠如、それらを調整、統合すべきトップマネジメントの不在、無責任がひしひしと伝わってくる。これじゃあ、ダメだ。ソニーがダメになったのは従業員の無能ではない。事業戦略や組織デザインの失敗とトップマネジメントの無能、無責任ではないか、そんな思いに強く駆られる。著者のソニー経営陣に対する批判は(実名で記した相手に関しては)遠慮がちに思われるが、それでも、ところどころ(実名を伏せた相手に関しては)強い無念や激しい怒りが伝わってくる。

 

本書の後半にはグーグル日本法人での経験が書かれているが、ソニーでの経験談と比べ、やや表面的、抽象的な記述となっている。事業部門間の関係やトップマネジメントの能力、責任について、ソニーと比較対照するように書かれていれば、より興味深い内容になったと思われる。また、著者は日本人の「完璧主義」がネット時代に出遅れた一因だと言うが(p. 242)、ジョブズのアップルもなかなかの完璧主義だったことを考えると、そうとも言い切れないと思う。

 

ともあれ、著者はグーグル退職後、新たな会社を起こしたとのこと、陰ながらその成功を祈念したい。


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