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シンガポール-「昭南島」いずこ [シンガポール]

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シンガポールのチャンギ(島の東部)というと、世界有数のハブ空港、チャンギ国際空港(Changi International Airport)がまず思い浮かぶ。以前、シンガポールに来たとき、飛行機の着陸から空港を出るまでの時間が短いことに驚いたが、今回も入国管理は行列の割にやや時間がかかったものの、飛行機に預けた荷物がベルトコンベアーに出てくるまでの時間の短さは相変わらずだった。

 

チャンギには、近代的な建物のチャンギ刑務所(Changi Prison)もある。ここは、第2次大戦中、日本軍がシンガポールを占領した際、イギリス兵、オーストラリア兵などの戦争捕虜(POW: prisoner of war)を収容した場所でもある。一般の刑務所を戦争捕虜の収容所として使うのは、国際的には稀なことらしく、イギリス、オーストラリア、オランダ(インドネシアから民間人が連れてこられた)などでは、チャンギと言えば日本軍の残虐さを象徴する場所とみなされているらしい。

 

さて、捕虜たちが刑務所内で建てた礼拝堂のレプリカを含むミュージアムが1988年にオープンしたが、刑務所内では観光客の訪問にも何かと支障があるので、2001年、刑務所の施設外の近くの場所に、チャンギ刑務所礼拝堂・博物館(Changi Prison Chapel and Museum)として移設された。

 

私がこのミュージアムに行ってみようと思ったのは、会議に一緒に参加していたオーストラリア人のマーケティング学者が一足先に行って、「想像していたよりeducational(教育に役立つ、知らないことを学べる)だった」と教えてくれたからだ。彼は、日本人である私に遠慮したのか、“educational”の内容は語らずに、少し話題を変えて、一緒にいたベトナム人の女性に、ベトナム戦争がベトナム人からどう評価されているのかを尋ねた。それに対する彼女の答えは、私にとってもオーストラリア人にとっても“educational”だった。

 

「私たち、そもそもベトナム戦争(Vietnam War)って呼んでないんだけど。アメリカ戦争(American War)って呼んでるの。その前のはフランス戦争、あとのは中国戦争。」

 

見る人の視点によって物事の認識がどう異なるかを鮮やかに示した一言で、この話題はこれでお終いとなった。

 

そんなこともあって、私は主張用務が全て終わったあと、1日だけ滞在を延長して、チャンギ・ミュージアム、国立博物館(National Museum of Singapore)、アジア文明博物館(Asian Civilisations Museum)など歴史の勉強ができる施設を集中的に訪問した。

 

チャンギ・ミュージアムへの交通の便は決してよくない。私の場合は、MRT東西線でタンピーンズ(Tampines)駅まで行き、そこからタクシーに乗った。運転手さんは中国系のおしゃべりな人だった。チャンギ・ミュージアムに行きたいというと、それは刑務所の中にあると言う。既に述べたようにそれは10年以上も前の話だが、彼は実際に刑務所の門をくぐって、守衛さんに新しいミュージアムの場所を聞き出すまで納得しなかった(ということは、このミュージアムを訪れる人があまりいない、ということでもあるのだろう)。

 

最初は、なぜチャンギ・ミュージアムに行きたいのかとか、日本兵がマレー半島を自転車で南下してきた話などをしていたが、そのうち個人的な話になった。1952年生まれの61歳、カミさんと別れ、子供たちも面倒を見てくれないので、今でも118時間働いている、今のシンガポールはバブルだ、将来性があるのはマレーシアの方だ、日本はどうか、・・・など退屈しなかった。帰りは、ミュージアム前のバス停で待っていれば簡単にタクシーをつかまえられると言われたが、タクシーはなかなかやってこない。結局、路線バス(29番)でタンピーンズ駅まで戻った。

 

肝心のミュージアムだが、内部は撮影禁止だったため写真は撮っていない。日本軍が占領する前、占領中、日本軍降伏後と時系列にしたがって、主にシンガポール人の生活や戦争捕虜の扱いなどを説明しており、当時の写真や遺品、そして関係者の証言などが展示されていた。日本兵が、現地の一般市民に対しても理不尽な暴力をふるったり、徴用したりしたといった記述が多く、気が滅入った。また、私以外の訪問者は全員白人で、寄せ書きのコーナーには、POWの親族である旨を記したカードが多かった。

 

このあと、市内に戻り、戦争記念公園とその中央にある日本占領時期死難人民記念碑を再訪した。周囲に高層ビルが増え、以前よりひっそりと目立たなくなっているように感じた。国立文化遺産局(National Heritage Board)の説明文を以下に引用しておこう。

 

Civilian War Memorial

This memorial is dedicated to all those who perished during the Japanese Occupation of Singapore, 1942-1945. Four vertical pillars soar to over 70 meters symbolising the shared war experiences of the Chinese, Indians, Malays and other races. The remains of unknown victims are interred beneath the monument.

 

The site was given by the Government of Singapore which also met half of the construction cost. The balance was contributed by the Singapore Chinese Chamber of Commerce and the people of Singapore. The monument was unveiled by then Prime Minister Lee Kuan Yew on 15 February 1967, the 25th Anniversary of the fall of Singapore to the Japanese.

 

Among the civilians who lost their lives were numerous Chinese targeted by the Japanese under the Sook Ching (literally “to purge” or “to eliminate”) operations. On 18 February1942, large numbers of Chinese were forcibly assembled at designated mass screening centres. Many were unjustly accused of involvement in anti-Japanese activities, or arbitrarily condemned. No one will ever know how many were taken away and massacred. Unofficial figures put the number of dead at about 50,000.

 

<チャンギ刑務所礼拝堂・博物館>

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<戦争記念公園、日本占領時期死難人民記念碑>

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*冒頭の写真は、シンガポール国立博物館にて。

 


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通りすがり

チャンギ空港からMRTで2駅のタナ・メラで下車して、バス乗り場1番から2番のバスに乗って15番目くらいのバス停「Changi Chapel Museum」で下車でも行けました。
by 通りすがり (2014-04-21 03:36) 

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