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マルチ・タスク問題 [経済]

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(↑神楽坂にて)

 

前回の記事で、辻野晃一郎『グーグルで必要なことは、みんなソニーが教えてくれた』(新潮社、2010年)の内容を紹介した際、ソニー凋落の理由として、「カンパニー同士の協力関係の欠如、それらを調整、統合すべきトップ・マネジメントの不在、無責任」、「事業戦略や組織デザインの失敗とトップ・マネジメントの無能、無責任を指摘した。

 

実は、ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズII』(講談社、2011年)の中でも、ソニーについて言及している箇所がいくつかある。そのうち、ソニー失敗の理由について端的に指摘しているのは以下の箇所だ(pp. 192-193)。

 

(ソニーには)ウォークマンでポータブル音楽プレイヤーの世界を拓いた実績もあれば、すばらしいレコード会社を傘下に持ってもいる。美しい消費者家電を作ってきた長い歴史もある。ハードウェア、ソフトウェア、機器、コンテンツ販売を統合するというジョブズの戦略に対抗するために必要なものはすべてそろっているのに、なぜ、ソニーは失敗したのだろうか。

アップルは、半ば独立した部門の集合体という形になっていない。ジョブズがすべての部門をコントロールしているため、全体がまとまり、損益計算書がひとつの柔軟な会社となっている。

もうひとつ、ふつうの会社はそういうものだが、ソニーも共食いを心配した。デジタル化した楽曲を簡単に共有できる音楽プレイヤーと音楽サービスを作ると、レコード部門の売り上げにマイナスの影響が出るのではないかと心配したのだ。これに対してジョブズは、“共食いを恐れるな”を事業の基本原則としている。「自分で自分を食わなければ、誰かに食われるだけだからね。」

 

この話は、いわゆる「組織の経済学」で取り上げられる「マルチ・タスク問題」の見事なケースとなっている。この新しい経済学の内容を、ソニーの経営陣が知っていれば、問題の所在についてもう少し自覚的であったかもしれない。マルチ・タスク問題とは何か? 以下、簡単に説明しよう(以下の説明は、ジョン・ロバーツ『現代企業の組織デザイン』NTT出版、2005年、pp. 133-146251-261による)。

 

・ ある人(「代理人」agent)が、誰か別の人(「本人」principal)のために仕事をする場合、どこまで一生懸命に働くかというのが、いわゆる「本人-代理人関係」問題である。その場合、仕事内容に複数のタスクやプロセスが含まれている場合、それぞれにどれだけの時間や努力を配分するかも問題となる。例えば、「本人」としては「代理人」に複数のタスクをバランスよく行ってほしいが、「代理人」はある特定のタスクのみを熱心に行って、他のタスクをおろそかにするといったことが起こりうる。これが「マルチ・タスク問題」である。

 

・ ロバーツは、マルチ・タスク問題を2つのケースに分けて考察している。①一つは、複数のタスクそれぞれの成果指標の精度や観測時期が異なる場合、②もう一つは、複数のタスクの成果指標が別々には観測できない場合である。

①の例としては、一人の代理人が、既存の事業を継続する業務と、新規の事業を開拓する業務を同時に行う場合があげられる。既存の事業の成果は個人の売上高の推移を逐次観測することで測られるかもしれないが、新規事業開拓の成果はより不確実で、ある程度時間が経ってからでないとわからない。この場合、評価が容易で正確な既存事業の売上高にのみ注目してインセンティブをかけると、代理人は既存事業にのみ時間や努力を傾け、新規事業の開拓を全く行わなくなってしまうおそれがある。

こうした問題への対応策は2つある。一つは、職務再設計を行って、既存事業を担当する人と新規事業を担当する人を別にすることである。しかし、双方のタスクに補完性がある場合、こうした職務分割は効率性を損なうおそれがある。もう一つは、いずれのタスクにも相対的に弱いインセンティブしか与えず、全てのタスクからの限界便益が等しくなるようにすることである。

 

②の例として、2つの事業部ABのそれぞれのマネジャーの行動を取り上げよう。マネジャーAもマネジャーBも、「努力」(ある目標実現のためにどれだけ時間や労力を費やすか)と「意思決定」(ある目標実現のために何を行うか)の結果、「成果」(売上高、利益など)を生み出している。ABそれぞれの成果は観測可能だが、「努力」と「意思決定」の貢献度合いを分けて観測することは容易でない。この場合、自分の事業部の「成果」のみを用いてインセンティブをかけると、マネジャーは最小の努力で最大の成果をあげようとする。その際、自分の事業部の成果をあげるために、他の事業部の成果が犠牲になることも厭わないといった、企業全体にはマイナスの影響を及ぼす意思決定を行う可能性がある。

他方、そうした事態を避けるために、AB双方のマネジャーに対して、AB両事業部の成果の合計額を用いてインセンティブをかけたらどうなるか。今度は、他事業部にマイナスとなるような意思決定は避けられるかもしれないが、努力水準が低下する可能性がある。

この問題の一つの有力な解決策は、「意思決定」をAB両マネジャーより上位のトップ・マネジメントに委ねることである。トップ・マネジメントが企業全体にとって最適な意思決定を行った上で、AB両事業部に、それぞれ最適な努力を発揮して成果をあげるようなインセンティブを与えるのである。

しかし、残念ながらトップ・マネジメントが最適な意思決定を行う保障はない。ロバーツは、ある組織が複数の目標を追求し、組織内のさまざまなグループに特定の目標を割りあてる場合のネガティブなモチベーション問題として、「内部競争」(internal competition)と「インフルエンス活動」(influence activities)を指摘する。内部競争とは、限られた資源(資金や人材)の配分をめぐって、グループ間で争いが起こることである。また、インフルエンス活動とは、他人(例えばトップ・マネジメント)の意思決定に影響を与えることを企図して行われる政治的活動のことで、情報の誤った提示や歪曲を伴う。トップ・マネジメントは現場の直接的な情報を十分に持っていないことが多いので、こうした活動の影響を受けやすい。さらに、トップ・マネジメントが適切な意思決定を行うための成果指標も、短期的には利用困難なことが多い。

ロバーツが、「マルチ・タスク問題に対する正攻法」とするのは、「組織デザインにかかわる人々や文化的要素に働きかけることによって、ファンダメンタルなトレードオフを変えていくことである。」この種の方策として有効なのは、従業員と企業の間の長期的な信頼関係を醸成し、個人利益と企業利益を合致させることであり、「ハイ・コミットメントHRM」(high commitment HRM)と呼ばれている。彼は、その具体例としてフィンランドのノキアを挙げているが、かつての日本の大企業こそが、その典型例であった。

 

つまり、②のようなタイプのマルチ・タスク問題の解決策として有効なのは、従業員と企業、従業員同士の信頼感、協力関係にあふれた企業文化の存在、そしてトップが(戦略や人事などで)適切な判断力を持って、果敢に決断を下すことである。おそらく、「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」を目指した井深、盛田時代のソニーにはそれがあった。この有名な東京通信工業株式会社設立趣意書」(の一節)は、今でもソニーのホーム・ページに載っているが、実態は大きくかけ離れてしまったようである。私は、長年、多くのソニー製品を愛用してきた一消費者に過ぎないが、その点が残念だし、悔しくもある。

 

(↓飯田橋・外濠にて)

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