ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズI・II』(講談社、2011年)(2) [読書]
(承前)
・ 1985年9月、ジョブズは自らが創業したアップルを去る。その後しばらく、アップルは高業績を維持するが、1990年代に入ると市場シェアも売り上げも落ち、特に1995年8月に発売されたウィンドウズ95がブームになると急速に売り上げを落とした。CEOは、ジョン・スカリー、マイケル・スピンドラー(1993年)、ギル・アメリオ(1996年)と交代するが、業績は悪化の一途をたどる。ジョブズ再登板の道が徐々に開かれていく。
・ 1997年1月、ジョブズは非公式・非常勤のアドバイザーとしてアップルに復帰する。彼が最初に行ったのは、「でたらめに広がった製品ラインに手をつける」ことだった。アメリオは取締役会の支持を失ってクビを切られ、ジョブズは正式なアドバイザーとなる。さらに9月には、「interim CEO」(暫定CEO)の職に就き、12月には「indefinite CEO」(無期限CEO)となる。
・ ジョブズの経営者としての優れた資質について、ジョブズをして「精神的なパートナー」(第II巻、p. 94)と言わしめたジョニー・アイブは、次のように語っている(第II巻、p. 101)。さりげない一言に聞こえるが、トップマネジメントの判断力の重要性を十分に示している。
「会社というのは、アイデアやすばらしいデザインが途中でどこかに行ってしまうことが多い場所です。私や私のチームがどのようなアイデアを出しても、スティーブがここにいて我々をプッシュし、いっしょに仕事をして、我々のアイデアが製品となるよう、さまざまな抵抗を打ち破ってくれなければ、なんの意味も成果も生まれなかったでしょう。」
・ 1998年、家庭用デスクトップコンピューター、iMacでジョブズは復帰デビューを果たす。5色から選べる透明ボディーの斬新なパソコンだ。(残念ながら、当時の私は食指が動かなかったが。)ジョブズは、経営者として一皮むけたようだった。一つは「集中」(製品ライン、OS機能の絞り込み、製造のアウトソーシング、サプライヤーの絞り込み、製造工程の短縮)。また、社内各部門の「緊密なコラボレーション」と「同時並行のエンジニアリング」。
・ パソコン脇役論も出てくる中、ジョブズは新たに音楽プレイヤー、ビデオレコーダー、カメラに至るさまざまな機器を連携させる「デジタルハブ」構想を進め、2001年以降、iTunes、iPod、iPhone、iPadなどのソフト、ハードを次々に具体化していく。アップルが孤高の「統合アプローチ」を採ってきたことが、ここでプラスに働いた。ただ、それだけではない。ジョブズに構想力だけでなく、実行力もあったことが大きい(音楽業界やアーティストの説得など)。
・ ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式でのスピーチ(2005年6月)で、自分の人生における転機として3つの出来事を挙げている。①大学を中退したこと、②アップルを追い出されたこと、そして③ガンになり死を身近に意識したことだ。ジョブズの膵臓ガンは2003年に見つかった。春にiTunesストアが発表された年の秋だ。
* * *
アップルとマイクロソフトの事業戦略の違いでよく取り上げられるのは、クローズドで行くかオープンで行くかだ。ジョブズの死期が近づいたころ、ビル・ゲイツが見舞いに訪れた。そのとき、二人はこの問題についても話している。
ふたりは、仕事人生を通じて、対立する基本原理をデジタル世界に見た。ハードウェアとソフトウェアを一つにまとめるべきかオープンにすべきかという問題だ。
「普及するのはオープンな水平モデルだと思っていた。でも、統合された垂直モデルもすごいのだと君が示してくれた」
ジョブズもお返しをする。
「君のモデルもうまくいったじゃないか」
ふたりとも正しかったのだ。パーソナルコンピュータの時代、どちらのモデルも有効で、さまざまなウィンドウズマシンとマッキントッシュが共存できたし、モバイル機器の時代になってもそれは変わらないだろう。
しかし、二人の話を私に語ってくれたあと、ゲイツは1点、警告をつけ加えた。
「スティーブが舵を握っているあいだは統合アプローチがうまくいきましたが、将来的に勝ち続けられるとはかぎりません」
ジョブズも、最後に、ゲイツに対する警告を付け加えずにはいられなかった。
「もちろん、彼の分断モデルは成功したさ。でも、本当にすごい製品は作れなかった。そういう問題があるんだ。大きな問題だよ。少なくとも長い目で見るとね」
(第II巻、pp. 406-407)。
見舞いに訪れたときの様子を話してくれたゲイツが最後に、統合アプローチも成功するという見解をアップルは示したが、それは「スティーブが舵を握っている」あいだだけだとコメントしたことを伝えると、ジョブズは、そんなばかなことがあるかと笑った。
「そういう形で優れた製品を作ることは誰にでもできる。僕だけじゃない」
では、エンドツーエンドの統合を追求してすごい製品を作った会社はほかにどこがあるのかとたずねてみると、ジョブズは考え込んでしまった。ようやく返ってきた答えは、
「自動車メーカーだな」
だった。しかも、一言、追加される。
「少なくとも昔はそうだった」
(第II巻、pp. 409-410)。
* * *
もう一つ、印象深かったのは、1997年にアップルに復帰して以降、2000年代の成功をもたらしたカギであるジョブズによる「集中」、「統合」だ。
マーケティング的な考え方で各部門に製品ラインを増やしたり、百花繚乱、咲くにまかせたりせず、優先順位の高いもの、ふたつか3つに絞ることをジョブズは求める。これがジョブズの強みだとクック(アップルの現CEO)は指摘する。
「彼以上に周囲のノイズをシャットアウトできる人はいません。だからごく少数のものに集中し、多くのことにノーと言えるのです。それを上手にできる人はめったにいませんよ」
古代ローマでは、凱旋した将軍が通りをパレードする際、「メメント・モリ(死を忘れるなかれ)」とささやきつづける従者がその後ろに付き従っていたという。自分も死ぬ存在だといさめられれば、英雄も物事を正しく判断し、多少は控えめになるというわけだ。
(第II巻、p. 271)。
もっとも、集中する対象を誤ってはいけない。経営がうまくいっていない企業は、事業戦略に関して言えば、ちゃんと集中していないか、間違ったことに集中しているかのいずれかであることが多いと思う。それは基本的には経営者の責任だ。経済環境や従業員のせいにしてはいけない。
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