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CSRとCSV(2) [経済]

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(承前)

 

パネル・ディスカッションのパネリストたちは、アジア太平洋地域でCSRに積極的に取り組んでいるとして表彰された企業だったが、私は2つのパネルにコメント役として参加した。特に印象深かったのは以下の企業だ。

 

オーストラリアのウェストパック社: オーストラリアで最も古くから続く銀行。2001年からヨーク岬半島のアボリジニ集落に行員を有給ボランティアとして派遣し、教育、コミュニティ支援活動等を行っている。

インドのジンダル社: インド最大の鋼管メーカー。役員を務める創業者一族の女性が年少時に交通事故で車イス生活となったこともあり、公共施設等のバリアフリー化に積極的に取り組んでいる。

アメリカのモンサント社: 遺伝子組み換え作物の種(世界シェアの9割)と除草剤を主力製品とする多国籍企業。フィリピンの農村部で貧困な農民に土地や作物の種を与え、その生活自立を支援している。また、インドネシアでは農村部の困窮者に対し、上水道や住宅整備の支援を行っている。

アメリカのコカコーラ社: 世界有数の飲料メーカー。フィリピンで教育施設の整備、上水道、リサイクル、公衆衛生等の支援を行っている。

 

なお、フィリピンのコカコーラ基金のパネリストから、当日のプレゼンで用いられたビデオ(YouTube)のアドレスが送られてきたので、参考までにリンクをはっておきたい。

Little Red Schoolhouse:

http://www.youtube.com/watch?v=lizHOfNWabM

Agos Ram Pump:

http://www.youtube.com/watch?v=m2TZTZG5vRw

 

これらはいずれも、CSRの類型としては企業の利益に直結するものと言うより、むしろ慈善活動の色彩が濃い。したがって、聴衆から出された質問のいくつかは、会社の利益との関係に関するものだった。(おそらく、会社の利益に貢献しない場合、株主の理解が得られるのか、という観点だったと思われる。)しかし、私にとって、より興味深かったのは、「社会貢献」という観点からみて、その内容自体の是非を問う質問や意見だった。

 

例えば、ウェストパック社に対しては、マイクロ・ファイナンスの効果や、そもそもアボリジニの生活習慣を変えることの是非が、ジンダル社に対しては、インドの社会経済状況を前提にした場合、バリアフリー化にどの程度の優先順位を与えるべきかという問題提起がなされた。

 

モンサント社に対しては、(予想されたこととはいえ)遺伝子組み換え作物の是非や、ベトナム戦争時の枯れ葉剤(Agent Orange)の問題が質問として出された。後者の点など、私には申し開きのしようがないように思われたが、会社側の回答はつぎのようなものだった。「エージェント・オレンジの問題を指摘してくれたことに感謝する。はっきりさせておきたいが、我が社はこれまで、除草剤を人間に対して使うという目的で開発したことはない。しかし、1960年代、70年代の一時期、軍の命令という特殊な状況の中で、軍事目的で使用されたことは事実である。(キリッ」 えっ? だから? それで? と思ったが、それに続く言葉はなかった。

 

コカコーラ社に対しても、コーラの健康面への影響を指摘する意見が出されたが、これは私から助け船を出した。(実を言うと、私は大学生時代、コカコーラから奨学金をもらっていたので、それなりの恩義を感じているのだ。)「ビールメーカーに勤めている友人がいるが、彼は以前、私に、自動車は人を殺すことがあるが、ビールは人を幸せにするから、自分はビールメーカーを就職先に選んだと言っていた。しかし、ちょっと考えてみればわかるが、ビールが人を殺すこともあるし、自動車だって人を幸せにすると言えないことはない。そういう意味では、どんな製品も、消費者が責任の一端を負わなければならないのではないか。」

 

さて、以上のやりとりから「社会的貢献」とか「社会的価値の創出」が、それを評価する人の立場や考え方によって、いかに幅があるものか、あるいは鋭く対立するものか、おわかりいただけたのではないかと思う。営利企業が通常よりどころとする「売れるものは、社会的によいもの」という単純な判断基準では必ずしも割り切れないのである。そして、厄介なことに、それに代わる「社会的価値」に関する明解な判断基準はないのだ。

 

それとも密接に関わる論点として、「社会的価値」はそもそもユニークに定義できるのかという問題がある。私は、「社会的正義」を一つの立場のみから正当化することができないのと同様、「社会的価値」についても社会構成メンバーの多様な立場、価値観に対応して、相当程度の多様性を許容すべきだと思っている。例えば、慈善活動に使う資源があるのなら、その分を研究開発投資に使いたいという企業があって、何らおかしいことはない。

 

さらに、上に紹介した企業はいずれも国際的に活動する巨大企業で、その豊富な資金力のごく一部を使うだけで相当の慈善活動を行える。しかし、同じことを零細企業にも期待するのは無理があろう。こうした点からみても、CSRに多様性は不可避である。

 

冒頭の写真は、シンガポール国立博物館の近く、フォート・カニング・パーク(Fort Canning Park)にて。

 


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