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カミュ「最初の人間」(Le Premier Homme)(2) [読書]

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(承前)

 

カミュの「最初の人間」の一つの謎は、タイトルの「最初の人間」とは一体何を意味しているのかという点だ。これは、小説の中に何箇所かヒント、ないしは直接的な言及がある。

 

(ジャックの)父親の生活は一生意にそまぬものであった。孤児院から病院まで、当然のように結婚し、彼のまわりに、意思に反して、一つの生活が形成され、それが戦争まで続くと、今度は戦死して、埋葬され、以後は家族にも息子にも決して知られることなく、彼もまた自分の種族の人間の最終的祖国である広大な忘却に飲み込まれてしまった。それは根なし草で始まった人生の到達点であり、ただ当時の図書館の中に子供向きの本として、この国の植民地化について多くの記憶を留めただけであった。(新潮文庫版p. 238

 

彼(ジャック)は何年もの間、忘却の土地の暗闇の中を進んできたのだったが、そこでは一人一人が最初の人間であり、父親もなく、彼自身が自分の力だけで成長しなければならなかったし、父親が話相手になる年まで息子の成長を待って、家族の秘密や昔の苦しみや人生経験を語るあの瞬間を、滑稽でおぞましいポロニウスが突然大きくなってラエルテに語りかけるあの瞬間を決して知ることはなかった。(新潮文庫版p. 240

 

ジャックの父親、アンリ・コルムリは、アルザスからドイツ人の支配を逃れてやってきた入植者の息子で、ジャックが生まれてまもなく、召集された第1次大戦で戦死する。ジャックの母親は、夫であったジャックの父親についてほとんど語ることがなかった。ジャックは、アルジェの下町の小さなアパートで、母親、母方の祖母、母親の弟(叔父)とともに暮らすが、母親は半ば聾で、叔父も聾者、祖母も含め、一家に読み書きのできる者は誰もいなかったのだ。

 

こうした環境で育ったジャックが次のような考えを抱くのも自然だった。

 

彼(ジャック)の中では、地中海は二つの世界に分かれていた。一つは計算された空間の中で、記憶と名前が保存されている世界であり、もう一つは砂嵐が広大な空間の中で、人間の足跡を消してしまう世界であった。(新潮文庫版p. 241

 

ジャックが、「父親の転勤によってアルジェに移ってきた本国の若者」を知るようになったのは、リセに通い出してからだ。

 

わずかとはいえ、ジャックは自分は人種が違うという感じを抱いていた。つまり過去もなく、代々続く家もなく、手紙と写真でいっぱいの屋根裏部屋もなく、屋根が雪に覆われる訳のわからぬ祖国の理論上の市民である彼らは、真っ直ぐに照りつけてくる、野性的な太陽の下で成長し、例えば彼らに盗みを禁止したり、母親や女性を守るよう促したりはするが、女性や目上のものに関する数多くの問題・・・(等々)には触れていない、この上なく基礎的な道徳だけを身につけていたからである。(新潮文庫版p. 254

 

ジャックも、ジャックの父親も、幼くしてその父親を失い、残された家族や親族から父親について詳しく聞くことなく育てられた。そもそも貧しい入植者として、生きていくことが精一杯の日々の暮らしの中で、過去から引き継ぐべき何ほどの文化、歴史、伝統があったのか疑わしい。自分自身で一から人生を切り拓いていくしかない、そういう意味で「最初の人間」だったのだ。引き継ぐべき過去がないという点では、「根なし草」(déraciné)と言ってもよい。

 

この小説の全編にわたって漂うのはこうした入植者が抱く「デラシネ感」と貧困であり、それがアルジェリア問題や植民地主義といった問題を相対化、もっとはっきり言えば、希釈化している。少なくとも私の印象は間違いなくそうだ。しかし、よく読むと、それに反するようなこともカミュは書いている。

 

彼ら(ジャックたち)を孤立させていたのは階級の違いですらなかった。この移民と成り上がりと急速な破産の国では、階級の差は人種の差ほどに顕著ではなかった。子供たちがアラブ人であるときには、彼らの感情はもっと痛ましく、苦々しいものとなった。その上、公立小学校では仲間がいたけれど、リセにまで通うアラブ人は例外的で、彼らは決まって裕福な名士の息子たちであった。(新潮文庫版p. 247

 

しかし、このような言及はこの小説ではあくまで例外的だ。小説の最後の方に、アラブ人に対する名状しがたい「恐怖」感を描いた箇所もある。

 

通りでもし女たちと出会っても、顔を半分覆ったヴェールと白い衣装の上の官能的で穏やかな目だけでは、女たちの様子を窺い知ることはできなかった。また彼らが集まり住んでいる一郭ではたいそう人数が多いので、忍従的で疲れた表情をしていても、その数だけで目に見えない恐怖を漂わせるのであった。その恐怖はときどき夕方一人のフランス人と一人のアラブ人との間で喧嘩が行われるときにも感じられた。喧嘩は同様にフランス人同士やアラブ人同士で行われることもあったが、取り巻きの反応は違っていた。(新潮文庫版p. 335

 

それは恐らく第一の人生の日常的な現れの下に隠れていたもっと真実味のある生活、第二の人生のようなものであった。それを物語るには一連の暗い欲望と強力だが筆舌に尽くしがたい感覚とが必要であったろう。(新潮文庫版p. 336

 

私にとって「最初の人間」の最大の謎は、なぜ、アルジェリア問題がほとんど出てこないのかという点だ。ここで私が「アルジェリア問題」というのは、フランスの植民地主義やアルジェリアの独立運動のことだ。カミュがこの(未完の)小説を遺して死んだのは1960年だが、1954年から既にアルジェリア戦争が始まり、1962年の独立に至ったこの時期、アルジェリアで生まれ育ったノーベル文学賞作家(1957年受賞)が何を言うのか、人々の耳目が集まらなかったはずはない。

 

一つの可能性は、カミュはこの問題について真っ正面から取り上げるつもりだったが、その急逝によってそれがはたせなかったというものだ。実際、公刊された小説は、「第1部 父親の探索」(RECHERCHE DU PÈRE)、「第2部 息子あるいは最初の人間」(LE FILS OU LE PREMIER HOMME)の2部構成だが、彼が遺したノートによれば、「第1部 遊牧民」(LES NOMADES)、「第2部 最初の人間」(LE PREMIER HOMME)、「第3部 母親」(LA MÈRE)の3部構成となっている。しかも、第3部の中には次の記述がある。

 

最終部で、ジャックは母に向かって、アラブ人の問題と植民地文化と西欧の運命について説明する。「ああ、そうなの」と彼女は言った。それから包み隠しのない告白と終末。(新潮文庫版p. 381

 

しかし、このあとには、つぎのような、いくぶん謎めいた記述もある。

 

この男は神秘をうちに秘めていた。そしてそれは彼が解き明かそうとしている神秘であった。しかし、最終的には、人間たちを名もなく、過去もないものにしている貧困の神秘しかない。(新潮文庫版p. 381

 

また、つぎのようにも書いている。

 

次のようなイマージュで最終部を始めること――何年もの間辛抱強く水汲み水車の周りを、鞭で打たれるのを我慢しながら、またきつい自然や太陽や蠅に耐えながら、ぐるぐる回る盲目のロバ。一見不毛のように思われる単調で、痛ましいその丸い歩みによって、絶えず水がほとばしり出る・・・(新潮文庫版p. 391

 

最終部。・・・それから彼は母の方を、次いでみんなの方を見ながら、叫んだ。「土地を返したまえ。貧乏人に、何ももっておらず、あまりにも貧乏なので何かをもとうとか所有しようとは決して望んだことのない人たちに、この国での彼女のように、ほとんどがアラブ人で、何人かはフランス人からなる悲惨な人たちの巨大なグループを構成し、世界で価値のある唯一の名誉、つまり貧者の名誉をもって、執拗に耐えながらここで生活をし、生き延びる人たちに土地を与えたまえ。聖なる者に聖なるものを与えるのと同じように、彼らに土地を与えたまえ。そのとき、私は再び貧乏になって、最悪の追放を受けながら、世界の端で微笑み、満足して死ねるだろう。私の誕生の太陽の下で、やっと私があれほど愛した土地と私が崇めた人たちが、男も女もみな一つになるということを知りながら。」(新潮文庫版pp. 396-397

 

こうした記述を見ると、カミュの中では、やはりコルムリ一家のような貧困の中で、過去から何らの遺産を引き継ぐことなく、根なし草として生きていく人々に対する哀惜の情が勝っていると思える。そうした前提で、入植者とアラブ人の対立構造を相対化、希釈化したいのかもしれない。しかし、一方で、両者の間に解消しがたい障壁があることもカミュはよくわかっていたのだ。

 

カミュは、19571210日、ノーベル賞の受賞晩餐会で次のように述べている。

(全文は、http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1957/camus-speech-f.htmlを参照)

 

«L’artiste se forge dans cet aller retour perpétual de lui aux autres, à mi-chemin de la beauté dont il ne peut se passer et de la communauté à laquelle il ne peut s’arracher. C’est pourquoi les vrais artistes ne méprisent rien ; ils s’obligent à comprendre au lieu de juger. »

「芸術家は、自分と他人の間を絶えず行きつ戻りつする中で作り上げられる。それなしでは済ますことができない美しさと、そこから自分を引き離すことができない共同体の狭間で。だから、真の芸術家は、何ごとも軽蔑しない。彼らは裁くのではなく、理解することを自らに課しているのだ。」

 

これがカミュの真意なら、彼がアルジェリア問題でその政治的立場を安直に表明しなかったのは、「確信犯」だったということになる。

 


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