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中島 敦「巡査の居る風景-1923年の一つのスケッチ-」 [読書]

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カミュの「最初の人間」を読んで思い出した小説がある。中島敦の「巡査の居る風景-1923年の一つのスケッチ-」だ。中島敦と言えば、「名人伝」、「山月記」、「弟子」、「李陵」など、漢文学の深い素養をもとにしたキレのある短編小説で知られる。彼は33年間という短い人生だったが、中学校教師だった父親の転勤に伴い、11歳から17歳までの6年間、京城(現在のソウル)で暮らしたことがある。「巡査の居る風景」は、その当時の体験をもとにして、20歳の時に書かれたものだ。植民地主義(le colonialisme)というと、政治的、経済的な支配・従属関係で語られがちだが、この小説を読むと、それは人々の精神のありように深く複雑な影響を及ぼすものであることを再認識させられる。

 

小説は、1923年の京城、朝鮮人巡査の趙教英(ちょう きょうえい)が、街角で見たり、仕事で経験したりしたいくつかの短いエピソードを書き連ねていくというスタイルで書かれている。いくつか紹介しよう。

 

趙教英は路面電車に乗ると、(巡査という仕事柄)いつも運転手台に立っていた。ある夏の朝、日本人の中学生が電車に乗り、運転手台に入ってきた。運転手が、運転の邪魔になるから客席に移るように言っても従わない。朝鮮人の巡査を客席に移動させないのなら、自分もイヤだ、というのである。運転手が朝鮮人であることを見越した上での態度だった。

 

電車の中で、座席に座っている日本人の女と、吊革につかまっている朝鮮人の青年が口論している。女は、親切に腰掛けなさい、と言ってやったのに何だと怒る。青年は、女が呼びかけの言葉に使った「ヨボ」(「おい」、「お前」など、主に夫婦間で使われる呼びかけ語だが、日本の植民地時代、侮蔑2人称として、日本人から朝鮮人に対して使われた)が気にくわない。女は、「ヨボ」ではなく、「ヨボさん」と呼んだんだ、と言い返す。女は何が問題なのかわからない。

 

府会議員選挙の立会演説会で、唯一の朝鮮人候補が演説を始めた。すると、「二十にもならぬ位の汚いなりをした小僧」が、「黙れ、ヨボの癖に」とどなり、警官によって外に引きずり出された。すると、朝鮮人の候補者は、一段と声を上げて次のように叫んだ。「私は今、すこぶる遺憾な言葉を聞きました。しかしながら、私は私達もまた光栄ある日本人であることをあくまで信じているものであります。」

 

街で日本人の立派な紳士から、非常に丁寧な言葉で、朝鮮総督府のある高官の住居を尋ねられた。その住居を教えると、紳士は丁寧に頭を下げて、教えられた方向に曲がっていった。そのとき、趙教英はある大発見をして愕然とする。「俺は今知らない中に嬉しくなっていはしなかったか。」俺達の民族には「永遠に卑屈なるべき精神」がひそんでいるのかもしれない。

 

高等普通学校の日本歴史の時間、若い教師が困惑しながら、遠慮がちに征韓の役(文禄・慶長の役)について話した。「こうして、秀吉は朝鮮に攻め入ったのです。」児童たちからは、「まるでどこか、ほかの国の話しででもあるような風に鈍い反響が鸚鵡がえしに響いてくるだけ」だった。

 

「二十四五の痩形の青年」が、東京から帰ってきた総督を狙撃しようとして、取り押さえられた。「彼の腕を捕えていた趙教英はとてもその目付きに堪えられなかった。その犯人の眼は明らかにものを言っているのだ。趙教英は自問する。「捕らわれたものは誰だ。捕らえたものは誰だ。」

 

支配者の傲慢が被支配者の反発や服従をもたらすという単純な図式だけではない。支配者の寛容すらが傲慢と裏腹の関係かもしれず、被支配者の卑屈さや思考停止を招くことも十分あり得るのだ。

 

趙教英の悩みは深い。

事実彼の気持は近頃「何か忘れ物をした時に人が感じる」あのどことなく落ちつかない状態にあった。果たされない義務の圧迫感がいつも頭のどこかに重苦しく巣くっているといった感じでもあった。しかしその重苦しい圧力がどこから来るかということについては、彼はそれを尋ねようとはしなかった。いや、それが恐かったのだ。自分で自分を目覚ますことが恐ろしいのだ。自分で自分を刺激することが恐かったのだ。

 

では、なぜ怖いのか。とりあえずは、妻子だ。自分が職を失えば、彼らはどうなるのか。でも恐怖の原因は本当にそれだけなのか? 小説には「・・・・・・・・・・・・」としかない。

 


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