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サラリーマンの「従属性」 [経済]

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201286日付けの当ブログ記事、「宮沢賢治『フランドン農学校の豚』」の末尾で、サラリーマンと自営業主の「従属性」について簡単に触れた。本記事は、その点に関し補足する。

 

サラリーマン(被雇用労働者、employee)と自営業主(self-employed)は、いずれも収入を目的に働いている(就業者、employed)という意味では同じだが、労働法や労働保険、社会保険、税法等の適用は大いに異なる。労働法(労働基準法、労働安全衛生法、労働組合法など)の適用対象者は、原則として雇用関係の下にある労働者であって自営業主は含まれない。労働経済学も労働需要-労働供給や雇用契約の分析においては、雇用主と被雇用労働者の関係が前提とされるため、主たる分析対象はサラリーマン(被雇用労働者、あるいは単に労働者)と言ってよい。

 

このため、労働法でも労働経済学でも自営業主の分析や検討はほとんど行われていない。一つの例外は、労働法において、被雇用労働者と自営業主の境界領域にある人たちをどちらに分類するべきかという話だ。これは「労働者性」の問題としてかなり以前から存在する。そして、労働法の世界における一般的な了解は、「使用従属性」(指揮監督関係および報酬の労務対償性)の有無に帰着する。

 

このような区分に対して、私は特段の強い異議を唱えようというわけではない。しかし、このように区分したからと言って、対処すべき「問題」の有無まで截然と区分けできるわけではない。そんな単純なことはない。サラリーマンは、気楽な稼業と来たもんだ」に一面の真理はあるが、すまじきものは宮仕え」にも一面の真理がある。それと同様に、自営業主にも両面がある。

 

例えば、自営業主に「上司」はいないかもしれないが、「取引先」や「発注者」、「顧客」はいる。ちゃんと稼ごうと思えば彼らの意向を無視するわけにはいかない。テレビ番組にフリーの「有識者」や「評論家」がよく登場するが、番組作成者の意向に沿った発言ばかりしているのを聞くと、実に痛々しい。

 

私が自営業主の辛さに思い至った一つのきっかけは、昨年、労働者の健康問題を扱ったある本の一つの章を分担執筆した際、就業形態による自殺率を比較したところ、失業者>無職者>自営業・家族従業者>被雇用者・勤め人、となったことだ(↓表)。自営業主が気楽だとはとても言えない。自分で稼いで生きていくというのは、どんな形態であれ大変なことなのだ。

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*冒頭の写真は、スイス、ジュネーヴにある国際労働機関(ILO)本部ビル。ハンマーを振り上げた労働者の銅像は何やら旧ソ連国旗にあったハンマーと鎌のデザインを想起させるが、実際、ILOの発足(1919年)とソビエト連邦の発足(1922年)には深い関わりがある。

 

*最近たまたま目にした論文、Parasuraman, S. and Simmers, C. A. (2001), “Type of employment, work-family conflict and well-being: a comparative study.” Journal of Organizational Behavior vol. 22.によれば、自営業主はサラリーマンと比べ、仕事の自律性や労働時間の柔軟性、職務関与や職務満足度の点で優位にあるが、仕事-家庭葛藤や家庭満足度の点で劣位にあるという。

 


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