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パスカル「パンセ」-「現在」を考えない人間 [パンセ]

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パスカルは、われわれの思考の盲点を突くようなことをズバッと言うことがある。例えば、われわれは「現在」のことをどれだけ考えているか。仮に考えているとしても、それはあくまで「将来」を考えるための手段に過ぎないのではないか。そう、われわれにとっての目的は「将来」でしかない(B172S80L47)。

 

・「われわれは決して、現在の時に安住していない。われわれは未来を、それがくるのがおそすぎるかのように、その流れを早めるかのように、前から待ちわびている。あるいはまた、過去を、それが早く行きすぎるので、とどめようとして、呼び返している。これは実に無分別なことであって、われわれは、自分のものでない前後の時のなかをさまよい、われわれのものであるただ一つの時について少しも考えないのである。これはまた実にむなしいことであって、われわれは何ものでもない前後の時のことを考え、存在するただ一つの時を考えないで逃しているのである。というわけは、現在というものは、普通、われわれを傷つけるからである。それがわれわれを悲しませるので、われわれは、それをわれわれの目から隠すのである。そして、もしそれが楽しいものなら、われわれはそれが逃げるのを見て残念がる。われわれは、現在を未来によって支えようと努め、われわれが到達するかどうかについては何の保証もない時のために、われわれの力の及ばない物事を按配しようと思うのである。」

 

«Nous ne nous tenons jamais au temps présent. Nous anticipons l’avenir comme trop lent à venir, comme pour hâter son cours, ou nous rappelons le passé pour l’arrêter comme trop prompt, si imprudents que nous errons dans les temps qui ne sont point nôtres et ne pensons point au seul qui nous appartient, et si vains que nous songeons à ceux qui ne sont rien, et échappons sans réflexion le seul qui subsiste. C’est que le présent d’ordinaire nous blesse. Nous le cachons à notre vue parce qu’il nous afflige, et s’il nous est agréable nous regrettons de le voir échapper. Nous tâchons de le soutenir par l’avenir et pensons à disposer les choses qui ne sont pas en notre puissance pour un temps où nous n’avons aucune assurance d’arriver.»

 

・「おのおの自分の考えを検討してみるがいい。そうすれば、自分の考えがすべて過去と未来とによって占められているのを見いだすであろう。われわれは、現在についてはほとんど考えない。そして、もし考えたにしても、それは未来を処理するための光をそこから得ようとするためだけである。現在は決してわれわれの目的ではない。過去と現在とは、われわれの手段であり、ただ未来だけがわれわれの目的である。このようにしてわれわれは、決して現在生きているのではなく、将来生きることを希望しているのである。そして、われわれは幸福になる準備ばかりいつまでもしているので、現に幸福になることなどできなくなるのも、いたしかたがないわけである。

 

«Que chacun examine ses pensées, il les trouvera toutes occupées au passé ou à l’avenir. Nous ne pensons presque point au présent, et si nous y pensons, ce n’est que pour en prendre la lumière pour disposer de l’avenir. Le présent n’est jamais notre fin. Le passé et le présent sont nos moyens, le seul avenir est notre fin. Ainsi nous ne vivons jamais, mais nous espérons de vivre, et nous disposant toujours à être heureux, il est inévitable que nous ne le soyons jamais.»

 

この1週間、「過去の清算」や「未来志向」で喧しいが、確かに「現在」にどう向き合うかをもっと考えるべきかもしれない。

 

*写真は都電荒川線を走る電車。新目白通と明治通の交差点付近にて。

 


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