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パスカル「パンセ」-懐疑論者の効用 [パンセ]

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私は、今から20数年前(つまり30歳前後の頃)の約2年間、千葉県のF市に住んでいたことがある。F駅の駅前では、よく、ある県会議員がマイクを持って演説していた。通勤客はみな足早に通り過ぎ、立ち止まって耳を傾けようとする人は一人もいなかった。彼が私と同い年だとは知らなかったし、いわんや、その後の彼の人生など関心もなかった。人はみな、自分が生きていくことに精一杯なのだ。ただ、どこかで立ち止まって内省することも大切だ。懐疑精神と言ってもよい。

 

パスカルが、懐疑論者の意義について皮肉混じりに述べている。生来、懐疑的な性向の強い私を少々複雑な気持ちにさせる一文だ。

 

「私をいちばん驚かすことは、世間の人たちがみな自分の弱さに驚いていないということである。人は大まじめに行動し、それぞれ自分の職務に服している。しかも、そういうしきたりなのだから、自分の職務に服すのが実際によいのだという理由からではなく、それぞれ道理と正義とがどこにあるかを確実に知っているかのように、である。人は、たえず期待を裏切られている。ところが、おかしな謙虚さから、それは自分のあやまちのせいであって、心得ていることを常に自分が誇りとしている処世術のせいではないと思っているのだ。だが、世の中に、懐疑論者でないこのような連中があんなにたくさんいるということは、懐疑論の栄光のために結構なことである。そのおかげで、人間というものは、最も常軌を逸した意見をもいだきうるということを示せるのである。なぜなら、人間は、自分はこの自然で避けがたい弱さのなかにいるのではないと信じたり、反対に、自然の知恵のなかにいるのだと信じたりすることができるからである。懐疑論者でない人たちが存在するということほど、懐疑論を強化するものはない。もしみなが懐疑論者だったら、懐疑論者たちがまちがっていることになろう」(B374S67L33)。

 

«Ce qui m’étonne le plus est de voir que tout le monde n’est pas étonné de sa faiblesse. On agit sérieusement et chacun suit sa condition, non pas parce qu’il est bon en effet de la suivre puisque la mode en est, mais comme si chacun savait certainement où est la raison et la justice. On se trouve déçu à toute heure, et par une plaisante humilité on croit que c’est sa faute et non pas celle de l’art qu’on se vante toujours d’avoir. Mais il est bon qu’il y ait tant de ces gens-là au monde qui ne soient pas pyrrhoniens, pour la gloire du pyrrhonisme, afin de montrer que l’homme est bien capable des plus extravagantes opinions, puisqu’il est capable de croire qu’il n’est pas dsans cette faiblesse naturelle et inévitable et de croire qu’il est au contraire dans la sagesse naturelle. Rien ne fortifie plus le pyrrhonisme que ce qu’il y en a qui ne sont point pyrrhoniens. Si tous l’ étaient, ils auraient tort.»

 

20数年前、F駅の駅前で演説していた青年が、昨夕、テレビカメラを前に大飯原発の再稼働について語った。ロジックも根拠も弱いが、掛け声だけは勇ましく、自分は国民のために正しいことをしているとの思い込みに何の疑念も持っていないように感じた。とても危険なことだ。誰も聞いてくれない街頭演説を繰り返していると、いろんな意見をよく聞き、それらを懐疑的に内省するという態度を失い、ただただ、自分の言葉に自己陶酔するようになってしまうのかもしれない。

 

*写真は、フランス、ランスのトー宮殿(Palais du Tau)にて。「ソドムの破壊」(La Destruction de Sodome)と題する18世紀の作。

 


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