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パスカル「パンセ」-ゴッド・ファーザーの告解と優しい神 [パンセ]

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私は、フランシス・コッポラ監督の映画「ゴッド・ファーザー」(The Godfather)が好きで、これまで何度も繰り返し観ている。ファンの間では、Part I1972年)、Part II1974年)、Part III1990年)のどれが一番好きかよく話題になる。Part IPart IIを推す人が多いようだが、私にはPart IIIも良く、正直言って甲乙丙つけがたい。Part IIIには、アメリカ(あるいは日本)とヨーロッパ(特にイタリア)の比較文化論的な観点から興味深い論点がたくさんある。

 

例えば、映画の中で、イタリア政財界の黒幕、ドン・ルケージ(Don Lucchesi)がこんなことを言っている。

“Finance is a gun. Politics is knowing when to pull the trigger.”(金融とは銃だ。政治とはその引き金をいつ引くかということだ。)日本で金融や政治についてここまで冷徹な目で見ている人間がどれほどいるだろうか。

 

多くの日本人には、カトリックの告解(confessionもあまり馴染みがないだろう。映画の中で、マフィアのボス、マイケル(M)が、ヴァチカンのランベルト司教(L)に慫慂されて告解を行う。

 

M: “Well, I’m beyond redemption.” “What is the point of confessing if I don’t repent?”(私には、神の救済など、思いも及ばないことです。もし私が悔い改めなければ、告解しても意味がないのではありませんか。)

 

L: “I hear you are a practical man. What have you got to lose?”(あなたは実利的な人間だと聞いています。だったら、(告解したからといって)失うものはないでしょう。)

 

M: “I betrayed my wife. I betrayed myself. I killed men. And I ordered men to be killed.” “I killed …I ordered the death of my brother. He injured me. I killed my mother’s son. I killed my father’s son.”(私は妻を裏切りました。自分自身を裏切りました。人を殺しました。そして、人を殺すよう命令しました。私は自分の兄を殺し殺すよう命じました。彼が私に危害を与えたからです。私は母の息子を殺したのです。父の息子を殺したのです。)

 

L: “Your sins are terrible, and it is just that you suffer. Your life could be redeemed, but I know that you don’t believe that. You will not change.”(あなたの罪は恐ろしい。だからあなたは苦しむのです。あなたの人生は救済され得るでしょう。しかし、あなたがそれを信じないこともわかっています。あなたは変わらないでしょう。)

 

「告解」とは何か、パスカルの説明を聞こう。

 

神が、われわれの罪、すなわち、われわれの罪のあらゆる結果と帰結とを、われわれに帰したまわないように。ごく小さいあやまちでも、無慈悲に追及されたら、恐ろしいことになる」B506S569L690)。«Que Dieu ne nous impute pas nos péchés : c’est-à-dire toutes les conséquences et suites de nos péchés, qui sont effroyables des moindres fautes, si on veut les suivre sans miséricorde.»

 

カトリック教は、自分の罪をだれにでも無差別にさらけ出すことを強いはしない。この宗教は、他のすべての人々に隠したままでいることを許容するが、ただし、そこから一人だけを除外する。その一人に対しては、心の底をさらけ出し、自分をあるがままの姿で見せることを命令する。この宗教が、われわれについての誤認を正すべきことを、われわれに命ずるのは、ただ一人の人に対してだけである。しかもその人は、不可侵の秘密としての義務を負わせられているので、彼が持っているこの知識は、彼のなかにありながら、あたかもそこにないのと同じようにされているのである。これ以上愛に富んだ、これ以上やさしい方法を、いったい想像できるだろうか」(B100S743L978«La religion catholique n’oblige pas à découvrir ses péchés indifféremment à tout le monde. Elle souffre qu’on demeure caché à tous les autres hommes ; mais elle en excepte un seul, à qui elle commande de découvrir le fond de son cœur, et de se faire voir tel que l’on est. Il n’y a que ce seul homme au monde qu’elle nous ordonne de désabuser, et elle l’oblige à un secret inviolable, qui fait que cette connaissance est dans lui comme si elle n’y était pas. Peut-on s’imaginer rien de plus charitable et de plus doux ?»

 

*写真は、いずれもローマ、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂にて。

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