サン・マロ-戦災から再建された街 [フランス]
坂口安吾は、「京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新たに作ればいいのである。バラックで、結構だ」と言った(「日本文化私観」)。フランスに、第2次世界大戦で破壊された市街をそっくり再建した都市がある。ブルターニュ地方のサン・マロ(Saint-Malo)だ。
モン・サン・ミッシェルに行ったついでに、サン・マロに立ち寄ったことは、以前、このブログでも書いた(2012年5月3日付、「モン・サン・ミッシェルのムール貝ワイン蒸し」)。サン・マロは、イギリス海峡に向かって突き出た小さな島のような形をした街で、周囲は城壁で囲まれている。「島」と書いたが、陸地とつながっており、日本の江の島のようなイメージだ。ただし、面積は江の島の0.38km2に対し、サン・マロは37km2なので約100倍の広さだ。
この街は、かつて多くの冒険家を生み出し、「海賊」の根城でもあった。ただし、サン・マロ人(les Malouins)は、自分たちは«corsaires»(コルセール、私掠船)であって、«pirates»(ピラットゥ、海賊)ではないとこだわる。前者は合法的な(国王から許可された)海賊、後者は非合法的な海賊のことである。また、コルセールは、「略奪する」(piller)のではなく、「没収する」(confisquer)のだと言う。戦争と殺人の違いと言ったらよいだろうか。まあ、モノは言いようである。
つい脱線してしまったが、サン・マロの街を歩くと、歴史を感じさせる古い趣のある建物が多く、とても第2次大戦後に再建されたとは思えない。私は、サン・マロのガイドブック(Édouard Maret, Saint-Malo, Editions Ouest-France, 2009)を読んで、初めてそのことを知った(一番下の写真は、同書の9ページから)。
1944年8月、ドイツ軍が侵攻していたサン・マロに対し、アメリカ軍が激しい空爆を行い、爆撃とそれによる火災で、街の大半が破壊された。この復興計画に立ち上がったのが、ギィ・ラ・シャンブル(Guy La Chambre)、戦前は国民議会(下院)議員や大臣、サン・マロの隣町であるサン・セルヴァンの市長を務め、戦後はサン・マロの市長や大臣を務めた大物政治家である。工事は1947年中に始まり、1953年にほぼ完了した。
サン・マロ人はなぜ街を再建したのだろうか。安吾が言うように、「生活の必要」のためだけなら、バラックでもよかったはずだ。それが、なぜ、わざわざ元の街並みを再建したのか。おそらくそれは、彼らの歴史に対する誇り、自尊心といった「非合理的な」心情、パッションだったのではないか。経済学は、人間は合理的だと想定する。確かに、それによって予測できる事象は多い。しかし、パッション(passion)がもたらす力は、しばしば理性(reason)の力を上回る。経済学者、否、われわれは皆、そのことを知らなければならない。
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