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坂口安吾「日本文化私観」 [読書]

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私が、坂口安吾を本格的に読んだのは30代の前半、アメリカの大学院で博士論文を書いていた時期だ。その大学は、ニューヨーク州の真ん中あたりにあり、東海岸のニューヨーク・シティまでクルマで片道6時間くらいかかった。年に23回、日本食品や日本の本などを買いに出かけたが、あるとき本屋で偶然買ったのが、安吾の「日本文化私観」や「堕落論」などを収めた文庫本だった。あまりにおもしろく、一気に読んだのを覚えている。中学や高校の時、定期試験が近づくと、試験勉強とは関係のない小説を無性に読みたくなったりしたが、博士論文執筆のストレスからの逃避もあったかもしれない。

 

その後、1冊だけでは終わらず、結局、ちくま文庫から出ていた「坂口安吾全集全18巻」を全て買い、その大半を読んだ。個人の全集を買いそろえたのは、後にも先にも安吾だけである。

 

私は、この才気煥発、多才な作家のさまざまな作品が好きだが、どれか一つ挙げろと言われたら、「日本文化私観」(1942年)だ。

 

・「僕は日本の古代文化に就いて殆ど知識を持っていない。・・・けれども、そのような僕の生活が、祖国の光輝ある古代文化の伝統を見失ったという理由で、貧困なものだとは考えていない」(「坂口安吾全集第14巻」ちくま文庫、p. 352)。このエッセイの冒頭、安吾らしい皮肉混じりの挑発的な文章で始まる。

 

・「多くの日本人は、故郷の古い姿が破壊されて、欧米風な建物が出現するたびに、悲しみよりも、むしろ喜びを感じる。新しい交通機関も必要だし、エレベーターも必要だ。伝統の美だの日本本来の姿などというものよりも、より便利な生活が必要なのである。京都の寺や奈良の仏像が全滅しても困らないが、電車が動かなくては困るのだ。我々に大切なのは「生活の必要」だけで、古代文化が全滅しても、生活は亡びず、生活自体が亡びない限り、我々の独自性は健康なのである」(p. 356)。戦中に書かれた文章だが、戦後にも通じる日本人の「近代」志向を言い当てている。私は、ヨーロッパの街をあちこち歩いて、彼らがいかに旧いもの(街並み、建物、生活様式・・・)を大切にしているか、正直驚いた。

 

・「伝統の貫禄だけでは、永遠の生命を維持することはできないのだ。・・・貫禄を維持するだけの実質がなければ、やがては亡びる外に仕方がない。問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ」(p. 362)。この指摘も小気味よい。

 

・「まっとうでなければならぬ。寺があって、後に、坊主があるのではなく、坊主があって、寺があるのだ。寺がなくとも、良寛は存在する。若し、我々に仏教が必要ならば、それは坊主が必要なので、寺が必要なのではないのである。京都や奈良の古い寺がみんな焼けても、日本の伝統は微動もしない。日本の建築すら、微動もしない。必要ならば、新たに作ればいいのである。バラックで、結構だ」(p. 375)。「必要ならば、新たに作ればいい」というフレーズは、この後ずっと私の耳に残った。

 

・「見たところのスマートだけでは、真に美なる物とはなり得ない。すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直でなく、結局、本当の物ではないのである。要するに、空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有っても無くても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとりこわして停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである」(p. 384)。「必要」や「実質」こそが「美」の源泉であり、それこそが本物の「文化」だ、というのが安吾の主張である。

 

私は、このエッセイのどこに惹かれたのだろうか? いくつかの理由が考えられる。一つは、そのころ、私が10年近いサラリーマン生活に一区切りをつけ、研究者を目指すというキャリア転換の最中にあったことだ。不安だが楽しい毎日だった。自分がしたいことに正直でありたい、世間的な安定などは二の次だという気持ちは、安吾の言う「必要」や「実質」と共鳴しあうと感じた。

 

もう一つ、私の当時の研究テーマである経済学の新制度派的なアプローチとも相通じるものを感じた。アメリカを中心とした経済学の主流は「新古典派」(neo-classical)と呼ばれ、個人の合理的選択、市場メカニズムの効率性などを分析の柱としている。これに対し、「制度派」(institutional)と呼ばれる少数派は、個人の行動は必ずしも合理的ではないし、市場メカニズムだけが資源配分の支配的な形態ではない、歴史的に形成される組織や制度の役割をもっと重視すべきであると主張する。

 

これらに対し、1980年代に登場したいわゆる「新制度派」neo-institutional)は、新古典派からの制度派に対する逆襲といった側面を持つ。彼らは、制度派が重視する組織や制度は必ずしも市場メカニズムと対立するものではなく、(一定の条件下で)効率性を実現するための補完的な仕組みであると主張する。また、個人の合理的選択は、新古典派と同様、基本前提として維持する。つまり、非合理的、非効率的と見なされがちな非市場的な制度を、合理性や効率性の観点から再解釈しようとするのである。

 

一応、以上の予備知識を前提に、ここでは新制度派と安吾の主張の間にある親和性についてのみ、簡単に説明しておこう。新制度派的な考えを「文化」に適用するとどうなるか。文化(というある種の制度)は経済の枠外にあるものではない、個人が合理的な選択を行い、社会全体にとって効率的な資源配分をもたらすように形成されるものだ、もしそれに反するようなものであるなら、そうした文化は淘汰され死滅するだろう、ということになる。

 

その後、私のものの考え方のどこかには、効率的でない制度や文化はどんどん潰してしまえばよい、もしも潰して問題があるのならまた作ればよい、という過激というか乱暴な思想がある。一度、同僚だったH先生にこうした議論をぶつけたことがあるが、彼は私の考えには反対だと言っていた。H先生が予想外に若くして急逝してしまったため、その後議論できなくなったのが残念だ。

 

今になって考えると、安吾の主張も新制度派の考えも、ある種の極論だ。一度潰したものは、それが貴重なものであればあるほど、簡単に元には戻らない。個人の合理性(短期的な損得勘定のこと)だけで、簡単に何でも潰してしまってよいものかどうか。原発事故地域のように、戻そうにも半永久的に戻せないものもある。ただ、若いころに出会った思想を完全に払拭するのは難しい。皮肉なことに、そのこと自体、新制度派の主張と矛盾がある。

 

*冒頭の写真は、鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏の切り株(親木)。2010310日未明の強風で倒伏し、親木は元の場所から左側に移植された。幹から新たに芽が出て葉が付いている(写真の真ん中より上、左と右に注目されたい)。下の写真は、元の場所に残された根から出てきた櫱(ひこばえ)。保護シートが上を覆い、大事にケアされている。われわれが、大銀杏の再生にここまで努力するのはなぜだろうか。

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