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フランス大統領選-2つの「成長戦略」 [経済]

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オランドの公約の一つは「成長」(la croissance)だ。そして、今年の32日に調印されたEUの「財政条約」le pacte budgétaire européen。正式名称はle traité sur la stabilité, la coordination et la gouvernanceは「緊縮」(l’austérité)ばかりで、成長戦略が含まれていないと批判する。一方、ドイツのメルケルは、「成長」は大事だが、財政出動による景気刺激策(la relance)には反対の立場だ。財政出動による(一時的な)成長とは区別して、「持続性のある成長」(la croissance durable)という言い方をしている。これは、同じく「成長」と言っても、両者の成長戦略が、全く異なることを反映している。

 

オランドの言う成長戦略とは、財政支出による大規模プロジェクトのことであり、特にエネルギー、環境分野が念頭に置かれている。これに対し、メルケルの言う成長戦略とは、労働市場などの「構造改革」(les réformes structurelles)を通じて国の競争力を高めることである(59日付ル・モンド紙5面)。

 

フランス、ドイツだけでなく、今、ヨーロッパの各国で、これら2つの戦略の間で政府も国民も揺れ動いている。日本でも過去20年間、ずっと問題になってきた論点だ。日本の政治やマスメディアの世界では、財政支出は悪、構造改革は善という単純な見方が優勢なように見えるが、少しでも経済学的にきちんと考えるなら、そんな単純に白黒をつけられる話ではない。

 

まず、財政支出による景気浮揚策(いわゆるケインズ政策)が、特に1980年代以降、理論的、政治的にチャレンジを受けたことは事実だが、ケインズ政策の有効需要創出効果自体が実証的に否定されたわけではない。議論になったのは、公共投資が民間投資をクラウド・アウトする可能性があるとか、乗数効果が低下しているとかいった需要創出効果の程度に関する議論である。また、理論的には、政府支出の増加はインフレをもたらすだけだとか(マネタリスト)、将来の増税予想を通じて長期的な需要創出効果をもたない(合理的期待形成学派)という議論もあったが、いずれもかなり極端な前提に基づいたモデルであり、実証的に確かな根拠をもつわけではない。

 

また、財政赤字の増大を懸念するのは理解できるが、そうかと言って単に増税を行えば解消するものではない。税率の上昇を課税ベース(所得や消費)の縮小が相殺する可能性があるからだ。長期的に真っ当な政策は、成長を実現することしかない。したがって、長期的な成長に資するような投資を政府も民間も増やす必要がある。そして民間投資だけでは内容や金額が不十分であるなら、公共投資を否定すべき理由は何らない。本来、議論すべきは「長期的な成長に資するような投資」とは何か、特に公共部門が積極的に関与すべき領域は何かということである。

 

一方、「緊縮財政」と「構造改革」の組み合わせによる成長戦略についてはどうか。まず、緊縮財政自体が、増税にせよ支出削減にせよ短期的にプラスの効果を持つ可能性はほとんど考えられない。ただ、財政赤字があまりに大きくなって、将来の返済可能性について不安が高まると、国債の資産価値低下、金利上昇などのマイナス効果が生じる。しかし、返済可能性を判断する上で重要なのは、将来の成長予想である。経済が縮小を続けるのか、拡大に転じてそれが持続すると見込まれるのかがカギとなる。してみると、緊縮財政だけでは効果がなく、構造改革がはたして将来の成長経路を高めるかどうかがポイントだ。

 

構造改革に関しては、それを単に抽象的に言っても意味がなく、具体的にどのような政策が必要なのかをていねいに検討しなければならない。その国の経済・社会制度のありようによっても処方箋は異なるだろう。少なくとも、あらゆる規制をなくし、市場競争圧力を強めさえすればよいといった新自由主義的な処方箋は乱暴すぎて話にならない。例えば、よく取り上げられるのは労働市場のあり方だが、労働経済学の専門外の人の議論の中には、日雇い労働のような流動的なスポット市場を全面的に実現すべしと主張しているように聞こえるものがある。みんながそんな働き方をしたときに、はたして成長に必要な需要やイノベーションは生まれるものだろうか。ちょっと想像力を働かせれば分かる話である。

 

数少ない構造改革の成功例とされるのはニュージーランドだ。自身もそれに関与したスタンフォードの経済学者、ジョン・マクミランは次のように述べている(『市場を創る』NTT出版、2007年、第15章)。

 

・「1984年から1992年の期間、ニュージーランドは他のどの豊かな民主的な国々よりも、素早く徹底的に経済の再構築を行った。ニュージーランドは、自らもっとも規制の多かった先進国経済からもっとも規制の少ない先進国経済へと転換した」(p. 282)。

・「改革の推進力は、慢性的低成長と持続不可能な財政不均衡であった」(p. 282)。

 

・「1960年代と1970年代には、政府はどのような外的ショックに対しても、条件反射的に輸入、価格、賃金、利潤、利子率をコントロールするという行動を取ってきた。市場に対する制約だらけであった。資源配分に関する多くの意思決定は、政府役人もしくは政府に認められた独占企業によって行われた」(p. 283)。*こうしたニュージーランドの初期条件は、日本の状況とは大いに異なることに注意されたい。

 

・「マクロ経済改革に加えて、市場をよりよく機能させるよう設計された改革も行われた。たとえば、国際貿易の障壁を大幅に削減し、国有企業を法人化して競争にさらし、さらに民営化した。また、価格支持その他の農業に対する政府介入を撤廃し、天然資源管理に価格インセンティブを導入した。そして、労働市場において個別契約が最優先されるように労働諸法を変更した」(p. 284)。

 

・「しかし、改革はゆっくりとしか結実せず、深刻な社会的コストを伴うものであった」(p. 283)。

・「改革の最初の8年間は、実質的に経済成長はなかった・・・。この長期にわたった移行期間の後にようやく成長が軌道に乗り、1990年代前半の成長率は平均4%を少し超え、その後再び2から3%に落ち込んだ」(p. 285)。

 

・「もっとも明白で早く現れた改革の成功は、マクロ経済の安定化であった、政府財政は均衡し、インフレーション・スパイラルは終息した」(p. 285)。

・「企業が新しい環境に適応し、生産量を再び増加させるまでに、10年ほどの年月を要した。政策変化は速かったが、産業の反応はゆっくりとしたものだった」(p. 286)。

 

マクミラン自身は、「ニュージーランドについては、間違いなくショック療法は正しい選択であった」(p. 287)と結論づけているが、彼が知的に誠実だと思うのは、決してそれを一般化していない点だ。それは次の引用文が示している。

 

・「ショック療法という処方は、改革事業を著しく過小評価している。経済は複雑で、予測しがたいシステムである。皮肉なことに、ショック療法はそれ以前の国家統制と同様に、経済が実際にそうであるよりも管理に適したものであることを前提としている。・・・経済全体の設計は単一市場の設計とは異なるものである。経済全体の設計においては、どこに向かおうとしているのかも分からないし、どのようにそこに行き着くのかも分からないのである」p. 282)。

 

さて、ヨーロッパはこうした厳しい「構造改革」による成長戦略をとることができるのか。あるいは、とるべきなのか。そもそも経済発展段階も経済・社会制度も異なる国々をEUの枠組みの中で統一的に扱うことはできるのか、根本的な疑問がある。

 

結局、私が言いたいことはこうである。メルケル、サルコジが中心になって進めた「緊縮財政」+「構造改革」路線には、そもそも大きな無理があったということだ。オランドのチャレンジがなくとも、いずれ破綻した可能性が高い。「緊縮財政」や「構造改革」という側面を全否定する必要はないが、将来の成長につながる公共投資や格差是正策(オランドは若年者対策や企業・富裕層への増税を公約している)などを取り入れていく必要がある。

 

*冒頭の漫画は、59日付ル・モンド紙の1面より。サルコジが、オランドの肩をポン、ポンとたたいて、「友よ、幸運を祈る」と言って、メルケルとの会談に送り出そうとしている。サルコジとメルケルは蜜月関係(いわゆるメルコジ関係)にあったとよく言われるが、2009年か10年、二人が共同記者会見をする場面を、たまたまテレビで見ていたとき、サルコジがメルケルの肩をポン、ポンと馴れ馴れしくたたいたのに対し、メルケルが「触らないでよ」という感じで嫌がる様子を見せたのをよく覚えている(笑)。

 


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