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Ressources humaines(1999年、フランス映画) [映画]

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427日付のブログ「フランス大統領選-FNの躍進」の中で、カードル(管理職層)とウヴリエ(工員)の間のイデオロギー的な懸隔について触れた。日本でも戦前の大工場では職員と工員の間の身分格差は大きかったが、戦後の民主化運動の中で工職混合組合が標準となるなど、シンボリックな面ではかなり格差が縮小した。さらに、いわゆる正規社員についてみるなら、報酬や能力開発における学歴間、工職間の格差は、今でも欧米に比べかなり小さい。そのことは、戦後日本のめざましい達成であったが、バブル崩壊以降の格差拡大傾向に対するある種の鈍感さの一因になっているようにも思える。

 

ところで、フランスにおける工職間の階級対立を知るのによい映画がある。ローラン・カンテ(Laurent Cantet)監督のRessources humaines(人事)だ。私が担当している学部生のゼミナールで、これまで2回この映画を観た。台詞はフランス語、字幕は英語なので、わかりにくい箇所も多いが、学生たちは熱心に観て、いろいろな感想を語ってくれる。私自身も観るたびに新しい発見がある。以下では、学生用に配布しているレジメにある【前半のあらすじ】と【予備知識】を紹介するとともに、本ブログ用に私自身のコメントをいくつか記すこととしたい。

 

【前半のあらすじ】

フランク(Franck)は、グランド・ゼコール(フランス独特のエリート養成学校)の一つ、パリの商科大学校に通う学生だ。最終学年の夏休み、郷里の町にある工場の人事部でインターンシップを受けるために、彼が帰郷するシーンから映画は始まる。

 

実は、彼の父親はこの工場の工員として30年間勤続しており、彼の姉(既婚、二人の子持ち)もこの工場で働いている。実直な現場作業員として長年苦労してきた父親は、息子の成功を誇らしく思う一方、会社勤めの苦労を知るだけに、息子がうまくやっていけるか不安も感じている。

 

折しも、工場では週35時間労働制の導入をめぐって労使対立が起きていた。週35時間制は、1997年に発足した社会党のジョスパン内閣の下で、1人あたり労働時間の短縮によって雇用の拡大、失業率の低下をめざして進められた政策である。しかし、工場の戦闘的な労働組合(CGT)活動家アルヌー(Arnoux)女史は、この施策は会社側に新鋭機械導入による効率化と人員削減を行うための口実を与えるものだと批判する。

 

工場長から、この問題へのアドバイスを求められたフランクはこう提案する。「アルヌー女史は、どうも一般従業員からは浮いているようだ。これとよく似たケースを大学校で習ったことがある。組合が政治的な立場から会社の提案にことごとく反対するという例だ。そこで人事部長は従業員全員の意見調査を行い、組合の主張が従業員の意見を代表していないことを把握した。そうとなれば、組合もさすがに会社の提案に反対できない。」 工場長はこの提案が気に入り、結局フランクは週35時間労働制の導入に関する従業員アンケート調査を実施することになる。

 

アンケート調査は無事に終わり、フランクはその報告書をまとめるために、不在中の人事部長の部屋に入り、そのコンピューターを使う。そこで偶然、ある重要なファイルを発見する。それは、会社側のリストラ計画を記した文書で、その対象者リストの中には、何とフランクの父親の名前が・・・。

 

【予備知識1:週35時間労働制】

フランスにおける週35時間労働制の導入は、2段階の立法措置によって行われた。第1段階(オブリ第1法)は、19986月に成立した「労働時間短縮に関する方向付けと奨励法」(La loi d’orientation et d’incitation relative à la réduction du temps de travail du 13 juin 1998)である。この法律は、企業に対して、労使交渉を通じて労働時間を短縮することを求め、その結果雇用の拡大・維持を図った場合は、補助金を支給し、社会保険料の事業主負担を軽減するというものである。

 

映画の中で、工場長が「補助金では時短によるコスト増をカバーできない」と言っているのは、この法律のことを指している。また、組合側のアルヌー女史が、「会社はわれわれとの協定締結が必要なんだから、われわれの主張を無視して勝手なまねはできない」と言っているのは、この法律が、補助金の支給要件等として、労使の合意、協定の締結を必要条件としていたためである。

 

2段階(オブリ第2法)は、20001月に成立した「労使交渉に基づいた労働時間の短縮に関する法」(La loi relative à la réduction négociée du temps de travail)である。これは、オブリ第1法の下で行われた先進的な労使交渉の結果を法律として追認、定着させることを目的としたもので、原則として週の所定労働時間を35時間と定めた。また、日本の労働基準法で言う「変形労働時間制」(映画の中では、annualisationという言葉がしばしば登場する)が広く認められたのも特徴である。

 

【予備知識2:フランスの企業内労使関係】

フランスの企業内労使関係で重要な機関は3つある。企業委員会(comité d’entreprise)、従業員代表(délégués du personnel)、団体交渉(négotiation collective)である。

 

は経営側から従業員代表への情報伝達や協議を行う。は苦情処理のための機関、は企業協定の締結をめざすものである。の労働側代表やは、従業員の投票によって選出される。企業委員会の労働側代表として選ばれるメンバーの3大出身母体は、CGT(共産党系ナショナルセンター)、CFDT(社会党系ナショナルセンター)、そして非組合系である。

 

【コメント】

この映画のテーマの一つは、冒頭でも述べたようにカードル(管理職層)とウヴリエ(工員)の間の階級対立だ。さらに、ウヴリエがカードルに対して持つ恥(la honte)の意識だ。映画の終わり近くでは、この「恥」という言葉がよく出てくるし、DVDに収録されたローラン・カンテ監督と女流作家アニー・エルノー(Annie Ernaux)の対談でも、階級による恥の問題がテーマになっている。映画の最後のシーンで、主人公フランクが、若い黒人の溶接工アラン(Alain)に対し、«Où est ta place?»(君の居場所は?)と聞いているが、これは明らかにエルノーの小説La place(居場所)を意識したものだ。

 

ただ、私にはこれ以外にも興味深い論点がいくつかあった。一つは、同じ物事でも、立場によって見方が大いに異なるということだ。35時間制について、フランクのようなエリートは、従業員がもっと責任を持つなど、労使関係に対する根本的な意識改革が必要だ、そのための良いチャンスだと、かっこいいことを言う。一方、ウヴリエの観点は、「時短を理由に、機械化が進み、リストラされるだけじゃないか」、「自分はもっと働いてもっと稼ぎたい」など、自分の生活感覚に根ざした卑近なものだ。私は、ウヴリエの見方を「木を見て森を見ない」議論だと、簡単に切り捨てるべきではないと思う。「木も見ないと、森は見えない」のではないだろうか。

 

アンケート調査の質問設計でもおもしろいやりとりがあった。フランクが、ウヴリエの父親に対し、「お父さんならこの質問にどう答える?」と聞くシーンがある。しかし、父親にはそもそも「annualisation(年間化)」なる言葉の意味がわからない。「ある週は6日、別の週は3日働くなどして、年間をならしてみて週35時間になっていればよい」という意味だとわかるが、それは「前もって分かるのか」と重ねて聞く。フランクは、そこまで考えておらず、「たぶん・・・。そういう細かいことはもっと後で考えるから・・・」とごまかす。フランクは、言い訳に「(週によってヴァリエーションがあるのは)仕事が単調でなくなって良いんじゃないか」と言うが、父親は「今の仕事が単調だなんてちっとも思ってないよ」とピシャッと言い返す。

 

もう一つ、労働が人々の生活、人生にいかに大きな意味を持っているか改めて考えさせられた。溶接工のアランは、アンケート会場に現れるが、結局アンケートには回答しなかった。あとからフランクに対してそのことを釈明するが、「自分は、決して仕事のことを考えていないわけじゃない。人生の半分は仕事で過ごしているんだもの、仕事のことを考えないはずはないだろう・・・」と言う。アランには、フランクのように多くの選択肢があるわけではない。いくら不満でも、這いつくばってでも今の工場にしがみつくしかないのだ。

 

このごろ日本では、メーデーもあまり大きなニュースにはならないが、働くことや働き方について、私自身も含め、みんながもっとよく考えてみる必要があると思う。

 


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