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乞食 [経済]

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ヨーロッパには乞食が多い。ジュネーヴでは、よくスーパーの前にロマ(Roms:かつてジプシーなどと呼ばれた移動型民族で、ルーマニアなど中東欧を出身地とする者)と思しき女性が跪いて小銭を恵んで下さいとせがんでいた。パリではそうした光景にさらに頻繁に出くわした。スーパーや教会の前だけでなく、駅の構内、地下鉄や電車の中、街頭、観光地などである。また、ロマだけでなく、フランス人も多い。性別、年齢層も多様だ。彼らが首から提げたり、手に持ったりしているボール紙には、「ひもじいです(J’ai faim)」、「失業中です(Au chômage)」などと書いてあり、「刑務所を出所したばかりです」というのも見かけたことがある。ブリューゲルの時代とは異なり、障がい者の乞食は比率としては低いように思う。大半は、少なくとも身体的には健常者である。

 

彼らの中には、組織的に、あるいは長期間やっている例もかなりあるようだ。例えば、ルーヴル美術館、エッフェル塔、サクレ・クール寺院など観光名所の界隈で、安っぽい腕輪や指輪を売りつけてくる人たちがいる。指輪の場合、相手の近くでいったん地面に落とし、それを拾い上げて、「これはあなたのか?」と話しかけ、最終的には数ユーロで売りつけるようだ。(私も、何度か話しかけられたことがあるが、ピシャリと断っていたので、その後、実際に売りつけられるまでのプロセスは知らない。)こうした、安物を売りつけるタイプの場合、「商品」の供給者がどこかにいるはずだし、彼らの「販売方法」を見ていると、一定の「教育訓練」が実施されているものと思われる。実際、東欧などからロマを連れてきて、郊外のタコ部屋のようなところに住まわせ、毎朝、クルマで各「職場」に送り届け、夕方再びピックアップし、連れて帰る、そしてその上がりをピンハネするシンジケートがあると、あるフランス人が言っていた。

 

日本でも、私の子供のころ(昭和30年代)には、傷痍軍人が街角や縁日の際などに募金箱をさげているのはよく見かけたし、大都会では特にバブル崩壊以降、ホームレスは珍しくない。しかし、ホームレス(フランス語では、SDF : sans domicile fixe)と乞食(mendiant)は異なる。ホームレスの場合、大勢の人の中に入って、積極的に物乞いをしたり、小銭をせがんだりはしない。

 

ヨーロッパの乞食の多さには、単に経済的事情だけでなく、社会的、文化的な背景がありそうだ。この点に関し、藤田嗣治がエッセイに面白いことを書いていたので紹介したい。1917-1929年の間、今から約1世紀も前に書かれたものだ(藤田嗣治『腕一本・巴里の横顔』講談社文芸文庫、2005年、pp. 77-81)。

 

「僕は日本へ帰って乞食の少ないのに驚いた。巴里には、実際乞食と泥棒が多い。乞食の数は、何人あるか、統計が、手許にないから分からないが、一寸、町を歩いてみただけでも、東京の比でない。」「年齢から云うと、さすがに老人が多い。」「洋服は・・・区々だ。」「場所だが、・・・何と云っても、客足の多いのは、大通りと盛り場だ。それから、忘れられてならぬのは、寺院と墓場だ。次が出入の多い地下電車の出入口となる。」

 

「さて、こうして、集めた一日の貰いが、どの位あるか知らぬが、あちらの人間は、兎に角、日本人よりは、よく乞食に金をやる。」

 

「警察は、厳重に、放浪者を取り締まって、その撲滅に努めている。さすが文明国だけあって、養老院と施療院の設備は完備している。日本の比ではない。それにも拘わらず、放浪者の数は、益々増加するばかりである。」「何故か? 『乞食を三日したらやめられぬ』と云う金言は、必ずしも、経済的自由を云ったものでない。もっともっと、人間の奥の奥の本能に根を張った怪しげな誘惑である。ラ・ヴィ・ボエームという事は、人間の生まれながらにして持っている本能の一つである。完全に束縛を脱した理想郷への憧れである。自由への憧れと云っても差しつかえない。」

 

「ラ・ヴィ・ボエーム」«la vie bohème»とは、「ボヘミアン的生活」、「自由気ままな暮らし」といった意味で必ずしも否定的な意味ではない。ロマの場合は居住地自体を移動するわけだし、フランス人の乞食も(おそらく)定職を持たないという点では、「自由気まま」と言えなくもない。しかし、それは彼らの心性の一面でしかないようにも思う。例えば、私が通学で使っていたパリの地下鉄8号線では、小柄で白髪のフランス人男性の乞食をよく見かけたが、彼は毎日「通勤」しているという感覚に違いない。あるフランス人は、もうかれこれ10年、彼女が使っている地下鉄路線で同じ乞食を見かけると言っていた。

 

彼らは、世間一般の職業に就こうとしないのか、就きたくてもできないのか、それもよくわからない。冒頭の写真の女性など、炎天下で何時間も耐えられる体力があるのなら、軽微な庭仕事でもやってはどうかとか、地下鉄車内で自分の身の上に関し一席ぶって小銭を求める男性なら、飛び込み営業や路上の呼び込み営業などをやれるのではないかと、余計なことを考えてしまう。

 

結局、私は、乞食についてよく分からずじまいだ。カトリックとプロテスタントの違いといった説明もあると思うが、どこまで説得的か自信がない。

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*写真は、20107月、イタリア、ローマのフォロ・ロマーノ横、フォーリ・インペリアーリ通り沿いの歩道にて。気温は30数度だったので、直射日光が照りつける地表の温度は40度を超えていたと思われる。この(ロマと思しき)女性は、何時間もエビのように体を折り曲げて、身動き一つしなかった。そして、多くの観光客は、まるで石でも転がっているかのごとく、気にとめるようすもなく通り過ぎていった。

 


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