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「神々と男たち」(2010年、フランス映画) [映画]

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この映画は、日本に帰国してからDVDで観た。日本でも話題だったのか、ネットで検索すると、さまざまなコメント、感想、解説等が載っている。1996年、アルジェリアで実際に起きた武装イスラム集団によるフランス人修道士誘拐・殺害事件を題材とした映画で、タイトルの「神々と男たち」(Des Hommes et Des Dieux)は、映画の冒頭に出てくる『旧約聖書』「詩篇」の次の1節による。

 

«Je l’ai dit: Vous êtes des dieux, des fils du Très-Haut, vous tous ! Pourtant, vous mourrez, comme des hommes, comme les princes, tous vous tomberez !»(『旧約聖書』「詩篇」82章)。「私は言う。あなたたちは神々だ、みんな、いと高き方の子らだ。しかし、あなたたちは人間として死ぬだろう。あなたたちは、みんな君候のように倒れるだろう。」

 

『聖書新共同訳』日本聖書協会2007)を参照しつつ、フランス語テキストから直訳した。なお、映画では「詩篇」81章とあるが、日本語字幕の82章が正しい。

 

私のように、人と組織の問題に関心を持つ者からすると、この映画は、組織の重要な意思決定のあり方(ガバナンス)について考えさせてくれる。カトリック教会というとローマ法王を頂点とした階層的(hierarchical)な組織との印象もあるが、実際はどうなのか、私は知らない。また、当然ながら、この映画で描かれたことを一般化してよいかどうかもわからない。そのことを、承知した上で言うなら、この映画に出てくる修道院内部の意思決定のあり方はなかなか「民主的」だ。みんな結構自由に発言している。「神」という絶対的に帰依すべき存在があるのは、一般の組織とおそらく異なるが、「神」の意志は何か、プロの神父といえども簡単にはわからない。また、「わかった」としても、みんなの理解が同じだとは限らない。

 

映画のあらすじを簡単に述べておこう。アルジェリアの片田舎にあるフランス人の修道院は、診療所も併設し、長らく村民の生活にとって貴重な存在だった。そんな中、イスラム過激派の活動が活発化し、この修道院もその標的となる。アルジェリア政府もフランス政府も退去を勧めるが、修道院長のクリスチャンは拒否する。彼は、コーランもよく読み、テロリストにも毅然と対峙するなど、若いながらなかなかのリーダーだ。

 

映画では、修道院という組織としての意思決定に関し、4回、重要な会合が開かれる。1回目は、アルジェリア政府当局者が来訪し、軍が修道院の警備を行おうと申し出たのに対し、クリスチャンがそれを拒否した後に開かれた。そこでは、クリスチャンの判断に対し、何人かの修道士から批判が出される。「なぜ、みんなに相談せずに決めたのか ?」、「みんなの意見を聞くべきだ」、「君一人に決定権はない」、「君の態度によって共同体の原則が曲げられる」。

 

2回目は、テロリスト集団の最初の来訪で、医薬品の提供や医師の派遣を求められるも、クリスチャンがそれを拒否した後に開かれた。テロリストへの対応と、ここに留まるべきか、去るべきかをめぐって議論が行われた。クリスチャンは「各自の意見を述べよう」と、一人一人の意見表明を促す。8人の修道士のうち、「留まる」は3人、「去る」は3人、「わからない」は1人で、クリスチャンは「結論を出すのはまだ早い」と結論づけた。

 

3回目は、事態がますます切迫する中で開かれた。クリスチャンは、「今から採決しよう。私たち全員の意志が一つかどうか」と口火を切る。言い方はいろいろだが、結局「去りたい」と主張した者はおらず、8人全員が「留まりたい」に手を挙げた。

 

4回目は、司教館から訪れたもう一人の修道士を加えた9人で、「最後の晩餐」が開かれる。ラジカセから「白鳥の湖」の旋律が流れる中、赤ワインを飲みながら。ここでは、何の会話もなく、一人一人の表情がアップで映し出される。

 

このあと、ついにテロリストの襲撃を受けるが、行動面では72に分かれる。それが生死の分岐点ともなったのだが、いずれが神によりよく仕えたと言えるか、などという問は愚問かもしれない。いずれにせよ、私にはその答えはわからない。

 

ただ、最初に提起したガバナンスという観点からするなら、一般に「多数決」と比べて評判の悪い「全員一致」にも効用があることを、この映画によって再認識させられた。いずれのガバナンス形態であるかによって、意思決定に至るプロセスで行われる相互調整、相互理解の程度が異なるであろうこと、そして意思決定後の行動も影響を受ける(拘束される)であろうこと、である。これらの要因はいずれも単純な経済モデルでは一般に無視されている。

 


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コメント 2

佐々木

興味深いテーマの映画ですね。
by 佐々木 (2012-03-25 13:39) 

haofu

佐々木さま、コメントどうも有り難うございました。当ブログへのコメント第1号です。1と月以上もコメントを頂いていたことに気がつかず、大変申し訳ありませんでした。今後、こまめにチェックするようにします。
by haofu (2012-04-28 23:45) 

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