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パスカル「パンセ」-恋愛 [パンセ]

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パスカルの「パンセ」で、「考える葦」と並んでよく知られた名句に、「クレオパトラの鼻がもっと短かったなら、世界の歴史は変わっていただろう」というのがある。これは、彼が人間のむなしさとして、恋愛(正確には、その原因と結果)を引き合いに出した中に登場する。

 

「人間のむなしさを十分知ろうと思うなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めてみるだけでいい。原因は、«私にはわからない何か»(コルネイユ)であり、その結果は恐るべきものである。この«私にはわからない何か»、人が認めることができないほどわずかなものが、全地を、王侯たちを、もろもろの軍隊を、全世界を揺り動かすのだ。クレオパトラの鼻。それがもっと短かったなら、大地の全表面は変わっていただろう」(B162S32L413)。

 

«Qui voudra connaître à plein la vanité de l’homme n’a qu’à considérer les causes et les effets de l’amour. La cause en est un Je ne sais quoi. Corneille. Et les effets en sont effroyables. Ce Je ne sais quoi, si peu de chose qu’on ne peut le reconnaître, remue toute la terre, les princes, les armées, le monde entier. Le nez de Cléopâtre s’il eût été plus court toute la face de la terre aurait changé.»

 

恋愛の原因はわけがわからない、しかし、その結果はとんでもない、というわけだ。なるほど。さらに付け加えるなら、結果が恐るべきというのは、何も王様など高位の身分に限られない。世の片隅の凡人とて同様である。これに関しては、ヴィクトル・ユゴーの『レ・ミゼラブル』にあるつぎの言を引用しておこう。

 

「精神の目は、人間の心の中より以上に、まぶしさも暗さも見つけることができない。またこれ以上、恐ろしくて、複雑で、神秘で、無限なものを凝視することもできない。海よりも大きなながめがある。それは空である、空より大きなながめがある、それは魂の内部である。」「人間の意識を詩にする、それがただ一人の人間についてであろうと、最も卑しい人間についてであろうと、そうすることはあらゆる叙事詩を、すぐれた、決定的な叙事詩にまで仕上げるだろう」(第1部、第73。佐藤朔 訳、新潮文庫

 

«L’œil de l’esprit ne peut trouver nulle part plus d’éblouissements ni plus de ténèbres que dans l’homme ; il ne peut se fixer sur aucune chose qui soit plus redoutable, plus compliquée, plus mystérieuse et plus infinie. Il y a un spectacle plus grand que la mer, c’est le ciel ; il y a un spectacle plus grand que le ciel, c’est l’intérieur de l’âme.» «Faire le poème de la conscience humaine, ne fût-ce qu’à propos d’un seul homme, ne fût-ce qu’à propos du plus infime des hommes, ce serait fondre toutes les épopées dans une épopée supérieur et définitive.»

 

*写真は、フランス、ボーヌのワイン博物館入口付近にて。つがいのハトはずっと嘴をつつき合っていた。考えないハトは考える人間より幸せかもしれない。

 


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