公衆トイレ [経済]
尾籠な話で恐縮だが、ヨーロッパを旅行して、公衆トイレがあまりないことに困った経験をした人は多いのではないだろうか。例えば、日本では公共交通機関の駅のほとんど全てに無料の公衆トイレがある。一方、ヨーロッパでは、トイレがなかったり、あっても少なかったり、さらには故障中で使えなかったりということが多い。また、有料のことが多く、無人の場合はコインを持っていないと事実上使えない。
ヨーロッパ人は、膀胱が大きいから頻繁にトイレに行く必要がないのだという人もいる。しかし、それは飲む量に依存するから、公衆トイレが少ないことの説得的な理由にはならないと思う。要するに公共的な負担をケチっているのだ。
トイレの維持管理、特に清掃にはコストがかかるので、公衆トイレでも有料にして利用者にコストを負担してもらうというのは一理ある。しかし、それが社会的に最適な解決策かというと、それほど単純ではない。公衆トイレの供給不足や有料化は、その代替手段(立ち小便など)の利用を促進する。それは、社会的により効率的な結果をもたらすと言えるかどうか。
パリでは、立ち小便をする人(もちろん男性)が結構多い(と思う)。マルセイユの下町(パニエ地区)を歩いたときは、あちこちで饐(す)えた臭いがして困惑した。日本と違って、地面が土ではなく石のことが多いので、そうなるのだ。
新自由主義的イデオロギーの影響か、「タダほど高いものはない、個人はちゃんとコストを負担せよ」などと無邪気に言う人がいる。しかし、世の中には、タダで自由に使ってもらった方がよいサービスもある。少なくとも私は、日本の無料公衆トイレシステムは素晴らしいと思う。
*写真は、フランス、トゥルーズのレザバトワール近・現代美術館蔵、Jean Dubuffet作«Pisseur en face I»1961年作。
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