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「サラの鍵」(2010年、フランス映画) [映画]

Sara's Key.jpg

これは、2012年に入って初めて観た映画だ。本来、年末年始の休暇中に観たかったのだが、年末からずっと余裕のない仕事が続き、気がついたら2月も第2週目だった。だが、観てよかった。

 

舞台は1942年のパリ、マレ地区のとあるアパート、サラという名の少女が幼い弟(ミシェル)とベッドでじゃれ合っているところから始まる。突然、ドアを激しくノックする音。フランス警察が、ユダヤ人の一斉摘発に訪れたのだった。サラはとっさの判断で、弟を納戸の中に鍵をかけてかくまう。しかし、サラと両親は警察に連行される、幼いミシェルを残して。

 

サラ一家が住んでいたアパートには、その後、程なくあるフランス人家族が住むことになる。その息子の嫁がアメリカ人ジャーナリスト、ジュリアだ。彼女は、サラたちが連行されて60年後、ある雑誌の取材で、フランス政府のユダヤ人狩りという歴史の恥部を追うことになる。その過程で、彼女の義理の両親、夫のアパートの秘密、そしてサラの運命に行き当たる。それは、彼女自身の人生にも深い影響を与えることになる・・・。

 

私自身の感想は大きく2つある。一つは、ユダヤ人への蛮行というとナチスを想起するが、実はナチスだけではないということ。さらに対象をユダヤ人に限定しなければ、日本人であれ、アメリカ人であれ、・・・、そしてイスラエル人自身も含め、こうした蛮行を多くの民族、国民、集団が行ってきたということだ。これは、個々の罪の重さを希釈しようという趣旨ではない。このような不条理を人類が遍く行ってきたことを心の底から深く受け止め、考えなければならないという趣旨だ。

 

もう一つは、こうした蛮行が被害者に刻み込むトラウマの大きさだ。それは、容易に消し去れるものではない。一人の人間が飲み込めるものではなく、結局、何世代にもわたって、分かち合っていくしかないものである、ということだ。

 

『サラの鍵』のフランス語版の原題は«Elle s'appelait Sarah»(彼女の名前はサラだった)である。フランス語の過去形には、複合過去、半過去、単純過去の3つがある(あと、過去の過去としての大過去と前過去もある)。実を言うと、映画を観るまでその意味がよくわからなかったのだが、ラストのシーンを観てよく理解できた。あるフランス語の先生が言っていた「半過去は、過去の出来事が完全に終わったかどうかについて曖昧で、現在まで継続しているかもしれないという含みのある表現です」という説明を思い出した。サラの生も死も既に過去のものだが、誰か、生身の人間がそれを引き継いでいかねばならない、そういう作者の意図を感じた。


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