三浦海岸 [散歩]
この土、日、1泊2日で三浦海岸に行ってきた。かつて三浦海岸には勤務先の合宿施設があったので、10回以上は来ているが、いつも海辺を散歩するのが楽しみだ。今回は台風接近の影響で天気は荒れ模様となることが予想されたが、初日は波も穏やかだった。夏のような賑わいはないが、釣りをする人、水遊びをする人、散歩をする人など、それぞれ思い思いに楽しんでいる様子だった。もちろん私もその一人だ。
* * *
神田川-夏の草花(2) [散歩]
(承前)
このところ、カメラはもっぱらニコンのD7100を使っていたが、今回は久しぶりにフルサイズ機のD600を使ってみた。(私は現在、この2台を所有している。)レンズは、AF-S Micro NIKKOR 60mm 1:2.8G EDだ。まだマクロレンズは使い慣れていないが、今回いろいろと試してみて、どういうシチュエーションで使ったら効果的なのか、少しわかったような気がする。絞りは全て開放にしたが、さすがニハチだけあって、木漏れ日は難なく丸ボケになった。
* * *
神田川-夏の草花(1) [散歩]
今日(8月24日)は曇天で、暑さも少し収まったように思えたので、久しぶりに神田川沿いを江戸川橋から青梅街道まで散歩して、花の写真を撮った。この川沿いは桜の名所だけあって、桜並木がずっと続いているが、桜の次に多いのはおそらくサルスベリとムクゲであることに今回気がついた。いずれも見事な咲きぶりだった。
<サルスベリ>
<ムクゲ>
上野不忍池-ゆるい(?)蓮の花 [散歩]
「ゆる系」ブームが続いている。ネットで調べると、「ゆるキャラ」という言葉は2000年ごろから使われはじめたようだ。デフレ経済(「失われた15年」)の副産物と言えるかもしれない。ともあれ、このところ、とみに加速している夜郎自大の「右傾化」よりは、よほど平和で喜ばしい傾向だ。
写真界の「ゆる系」といえば、「ゆる鉄」を自認する中井精也先生だろう。女性ファンも含め絶大な人気を誇っているらしく、私もその3巻本、『世界一わかりやすいデジタル一眼レフカメラと写真の教科書』、『(同)何をどう撮る?活用編』、『(同)伝わる写真の撮り方編』を愛読している(笑)。中井先生の写真は、非常に個性的でなかなか真似をしにくいが、今回、不忍池の蓮の花を題材に「ゆる系」写真にトライしてみた。
「ゆる系」写真のテクニックとしては、露出はオーバー(ハイキー)にする、ホワイトバランスはアンバー(赤)系にする、ピントは大胆な前ボケを入れるなどいくつかあるが、なかなか教科書通りにはいかない。今回の実習(?)では、露出はハイキーにしたが、ホワイトバランスはあまりアンバーを強めなかった。花の色はそれでもいいが、せっかくの緑の葉っぱが色あせて見えてしまうからだ。また、構図の難しい前ボケではなく、多重露出で2(ないし3)枚分の写真を重ね録りしてゆるい感じを出すことにした。
さて、その出来映えは?
* * *
上野不忍池-蓮の花(2013年夏) [散歩]
今朝(8月17日)、ちょっと早起きして上野の不忍池に蓮の花の写真を撮りに行った。朝6時過ぎに着いたが、既にジョッギングをする人、犬を連れて散歩する人、蓮の写真を撮る人、あるいはこの近辺で生活していると思しき人など、それなりににぎやかだった。
上野不忍池の蓮の花は、約1年前の当ブログにも「日和下駄」シリーズの第1回目として掲載したことがある(2012年8月14日付、「永井荷風「日和下駄」-上野不忍池」)。そのときに掲載した写真は7月下旬に撮影したものだが、花の時期としては少し早かった。今日は、時期的にちょっと遅かったようだが、前回よりは多くの花が咲いていた。
レンズは、標準系ズームのほか、広角系ズーム、望遠系ズームも持参したが、意外と重宝したのは望遠系だった。池の岸辺近くに咲いているものもあるが、少し離れたところに姿形のいい蓮が多いからだ。広角系はほとんど使うチャンスがなかった。例えば、花がワッと咲いていて、そのすぐ近くまで寄って撮れるといった状況はまずない。
写真がどうであれ、この池の蓮の花は圧巻だ。
* * *
九品仏・浄真寺-鷺草 [散歩]
8月11日(日曜日)の午後、自由が丘近くの九品仏・浄真寺(くほんぶつ・じょうしんじ)にサギソウ(鷺草)の写真を撮りに出かけた。私は今から約30年前、20代後半の時期、自由が丘に住んでいた。と言っても、6畳一間の安アパートで、トイレ共同、風呂・シャワーなし、家賃3万円程度だった。クーラーなどなく、夏の暑い時期は一体どうしていたのか、今から考えると不思議だ。そんなとき、多摩川まで散歩に出かけるのが楽しみだったが、九品仏の鷺草を偶然知ったのもそのころだ。
ただ、30年も経つと記憶はかなり曖昧だ。自由が丘から九品仏までは地図を確認していたので大して迷わなかったが、境内で本堂脇にある鷺草の場所を見つけるのには少々手間取った。近くに「鷺草は7月20日ごろ植え付け、見頃は、7月下旬から8月10日の予定です」との掲示があった。果たして、既に見頃は過ぎていたが、いくつかきれいな花弁を見ることができた。
境内をゆっくり歩いて回りたかったが、九品仏に着いたころから雷の音が鳴り始め、どんどん近づいてくるようすだった。鷺草の写真撮影の時間だけはギリギリとれたのは幸いだったと言うべきか。せっかくなので等々力渓谷や多摩川にも足を伸ばしたかったが、あきらめて九品仏駅に飛び込み、激しくなる雨音を耳にしながら帰路についた。
明治神宮の花菖蒲 [散歩]
明治神宮は、明治天皇とその皇后であった昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)を祭神として、1920年(大正9年)に創建された。その境内には、「明治神宮御苑」という庭園があるが、ここは江戸初期以来、加藤家、ついで井伊家の下屋敷の庭園だったところで、花菖蒲で有名だ。私はこれまで行ったことがなかったが、今日の午後遅く、写真を撮りに出かけた。
原宿口に近い東門から入ると、まず南池に突き当たる。池沿いにさらに進むと、めざす菖蒲田だ。花菖蒲はまだ4分咲きとのことだったが、十分に楽しめた。
既に閉苑時刻(6月中)の17時が近づいていたが、菖蒲田を出たところに「清正井」という矢印があったので、何だか分からないままに行ってみた。説明の掲示板によると、「清正井」(きよまさのいど)とは、
「この地に下屋敷を構えて居た加藤清正が掘ったと伝えられ、一年中絶ゆることなく湧き出る清水は南池の水源となり掘り方の巧妙と水質の優秀なことは早くから世に知られています。」
とのことである。
17時過ぎに北門から出ると、御本殿はすぐ近くだった。伊勢神宮で覚えた(?)参拝方式に則ってお参りした。
* * *
* * *
* * *
堀切菖蒲園 [散歩]
今朝、堀切菖蒲園(葛飾区立、入園無料)に行ってきた。言わずと知れた花菖蒲の名所で、200種、6,000株を有するという。通常の開園時刻は9時だが、花菖蒲の時期には8時となる。実際、私が8時40分ころ着いたときは、既にそれなりの人出があった。また、10時ころ京成本線堀切菖蒲園駅から帰る際には、駅前で待ち合わせをしていると思しきグループが多数いた。
花菖蒲はちょうど見ごろで、種類も多く、手入れも行きとどいていた。(手入れを担当する人たちが何人も、水の中に入って萎んだ花を摘んでいた)。あまりにも多くの品種があって、どれがいいか目移りしてしょうがなかったが、一つ挙げるとすれば、江戸系の町娘(まちむすめ)という品種だろうか。外花被は白、内花被は紫色で、いかにも小洒落て、おきゃんな町娘のイメージがわく(笑)。下の写真の上から8枚目だ。
あと、この公園の近くにある小路のアジサイも見事だったことを付け加えておきたい。
* * *
旧古河庭園(2) [散歩]
「旧古河庭園」は、ずいぶん昔、大学生時代に一度訪ねたことがある。その当時まだ残っていた全国の西洋館を描いたスケッチ集のような本があり、それを見て興味を持って出かけたと記憶している。「古河」というのは財閥の「古河」だが、ここは、もともと明治の元勲、陸奥宗光の本邸だった。パンフレットによると、宗光の次男が古河財閥の養子になったとき、古河家の所有になったという。
洋館と洋風庭園は、鹿鳴館、ニコライ堂、旧岩崎邸などを手がけたジョサイア・コンドル(1852~1920年)の設計によるもので、西洋の雰囲気がたっぷりある。さらに、この庭園には、洋風庭園よりさらに低地にかなり広い日本庭園がある。日本庭園にはカエデが多くあったので、紅葉の時期は見応えがあることと思う。
旧古河庭園(1) [散歩]
5月17日の朝、北区西ヶ原(東京都)の旧古河(きゅう・ふるかわ)庭園にバラの写真を撮りに行ってきた。9時半近くに着いたが(開園は9時)、既に多くの人が訪れていた。バラ園は西洋館の脇と、裏手の低地にあり、特に裏手の方は、さまざまな品種のバラがちょうど見ごろで咲き誇っていた。以下、いくつかその写真を掲載しよう。私の好みは、下の7枚目、日本産の「初恋」という品種だ(笑)。
J学園のバラ [散歩]
5月15日、午後に上野で人と会う用事があり、昼過ぎに西池袋のJ学園までバラを見に行った。5月4日に訪れた際はまだ蕾ばかりだったが、既に多くの蕾が開いていた。一方、5月4日に咲き誇っていたジャスミンは大半が茶色く色あせてしまっていた(5月7日付け当ブログ、「J学園のジャスミン」)。花の盛りは実に短い。
美しいバラに夢中になって写真をバチバチと撮ったが、向かいの建物から女声合唱団の美しいコーラスが絶えず聞こえてきた。お陰様で、何だか心が清められていくように感じた。ここ数日、ニュースでは俗物政治家が人間の獣性について声高に叫んでいる。私は、人間の獣性を否定しない。しかし、人間には崇高な理性もある。それを否定してしまっては、人間失格ではないだろうか。
豊島区立目白庭園 [散歩]
(承前)
豊島区立目白庭園と言っても知っている人は少ないかもしれない。私も、中に入ったのは今回が初めてだ(入園無料)。西池袋のJ学園から、目白方向に向かって歩いたのだが、住宅街の中にひっそりとある小さな庭園である。小さいが、滝の注ぎ込む池が真ん中にあり、その周りをグルッと回れる回遊式庭園だ。池の脇には「赤鳥庵」(せきちょうあん)という数寄屋造りの建物もある。「赤鳥」という名前は、この庭園のすぐ近くに住んでいた鈴木三重吉が1918年創刊した子供向け文芸雑誌「赤い鳥」にちなんでつけられたという。大正デモクラシーの良質な知的貢献がこの地でなされたと思うと感慨深い。
この時期、園内はピンクのツツジがあちこちでアクセントをつけていた。また、白い大輪の花が固まって咲いていたが、これはナニワイバラというバラの一種らしい。すぐ横に、ふつうの(?)バラも遠慮がちに咲いていた。出口(入口と同じ)付近には、カエデとともにカクレミノの木があった。これは、先日、神代植物公園で初めて名前を知った木だ。カクレミノという名前は、この木の上に隠れやすいということかと最初思ったが(笑)、葉っぱの形が蓑(みの)に似ているかららしい。
* * *
帰りは、目白通りに沿って江戸川橋方向に向かった。途中、千登世橋から都電の写真を撮った。また、椿山荘近くに、私もときどき利用するガーデニングショップがあるが、バラの鉢植えをたくさん売り出していた。ただ、私にはお店の前の歩道沿いの狭いスペースに植えられていた赤いバラや、名前を知らない紫色の可憐な花がよかった。さすが、本職だけあってセンスが良い。
J学園のジャスミン [散歩]
5月4日(みどりの日)、池袋方面に散歩に出かけた。特定のお目当てがあったわけではないが、歩いているうちに、きれいなバラのある西池袋のJ学園に寄ってみたくなった。昨年のブログにも書いたが、J学園の白いバラは実に美しい(2012年6月2日付、「白い薔薇と夕立」)。真っ白ではなく、ピンク色がかっているのだが、その色合いが絶妙だ。今年はいろんな花の開花が早いので、ひょっとしたらと思ったが、さすがにまだ蕾だった。
* * *
ただ、意外な発見があった。J学園と通りを隔てて向かい側にある敷地の塀に沿って20~30mくらい、ジャスミンが山のように咲いているのだ。その強い芳香に惹かれ、私は思わずその細い小路に引き込まれていった。既に十分開花していながら、蕾がまだ続々と後に続こうとしている。これほど多くの房が連なって咲いているジャスミンを見たのは初めてだ。
小石川後楽園-新緑 [散歩]
5月1日の朝、散歩がてら小石川後楽園に行った。お目当ては藤棚だったが、既にピークを過ぎていた。公園のホームページには、4月18日にフジが見頃を迎えたとの写真が載っており、その2週間後ともなれば致し方ない。そのせいか、連休の谷間の公園は閑散としていた。フジ以外に目立った花は、カキツバタ、シャガ(アヤメ科アヤメ属)、ヒメウツギなどだ。ただ、新緑の木々はよかった。葉っぱ本来の色合いの違いに加え、光の当たり具合でさまざまな緑のグラデーションを楽しめた。
<フジ>
<カキツバタ>
<シャガ>
<ヒメウツギ>
<新緑の木々>
神代植物公園-新緑 [散歩]
(承前)
神代植物園には、一と月前も写真講座の撮影実習で訪れた(2013年3月26日付け当ブログ、「神代植物公園-桜」)。その時、満開だった桜はすっかり葉桜となり、椿の花も大半が落ちてしまった。いずれも今は注目したり、写真を撮ったりする人は誰もいない。一と月で緑も随分濃くなった。以下では、フジやツツジ、シャクナゲ、ボタンのように派手ではないが、今回、印象に残った草木や花のいくつかを紹介したい(水生植物園を含む)。
なお、最後の写真は、神代植物公園ではなく、野川である。10数年前、旧甲州街道沿いのマンションに住んでいたころ、よくこの川沿いを散歩したが、今回はそこまでの元気がなかった。私が住んでいたマンションの近くも、贔屓にしていたクリーニング屋さんが廃業し、跡地が駐車場になったり、宗教施設が建ったりと、結構変わっていた。調布駅自体、ホームが全て地下になり、大きく変わっていたのには驚いた。
<カクレミノ>
<ミミガタテンナンショウ>
<シロヤマブキ>
<ヤマブキ>
<カエデ>
<カキツバタ>
<シラン>
<野川>
神代植物公園-ツツジ、シャクナゲ、ボタン [散歩]
(承前)
この時期、植物園で目立ったのは、正門近くにある「ツツジ園」、その隣の「シャクナゲ園」、そして「ボタン・シャクヤク園」のボタンだ。白のツツジは既に色が褪せ始めていたが、一株だけ、「ツツジ園」から離れたところに咲いていた「モチツツジ」(冒頭の写真)がきれいだった。
「シャクナゲ」はツツジ科ツツジ属の植物だが、花はツツジより派手で大きい。花の色種や形、大きさはむしろ「ボタン」(ボタン科ボタン属)に似ていた。いずれもまさに花盛りだった。
<ツツジ>
<シャクナゲ>
<ボタン>
神代植物公園-藤 [散歩]
連休初日の4月28日(日)、神代植物公園に行った。朝9時40分頃に着いたが(開園は9時30分)、天気が良く、ゴールデンウィークということもあり、既に多くの人がいた。私のお目当ては藤だった。「ふじ園」の藤は既にピークを過ぎていたが、噴水脇にある「藤棚」は見事だった。
「ふじ」以上に見頃だったのは「つつじ」や「ぼたん」だが、それらの写真は次回掲載したい。なお、以下の写真で、最後のものは神代植物公園の藤ではなく、外の一般の民家のものである。一般の民家と言っても、この辺りは武蔵野の豪農の流れを汲む(と思しき)立派な屋敷や庭園が多い。この藤のように一般の道路沿いに何気なく咲いているもの以外に、すごい樹木や花があるに違いない。
* * *
亀戸天神の藤 [散歩]
先週金曜日(4月19日)の朝早く、亀戸天神に行って藤の写真を撮ってきた。あいにく今にも雨が降り出しそうな曇天だったが、ホームページで既に満開と知っていたこと、今週は行く時間がとれそうもないことから、この日を選んだ。
亀戸天神は都内でも有数の(おそらくナンバー・ワンの)藤の名所だが、なるほど境内の大半が藤棚で占められている。ふつう神社といえば、梅や桜、銀杏などが相場で、ここは梅も有名らしいが、少なくとも今の時季はひたすら藤、ときどきツツジ、である。オンリー・ワン戦略の成功というべきか(笑)。
* * *
神田川-葉桜 [散歩]
4月最初の日曜日、神田川沿いを江戸川橋から高田馬場付近まで散歩した。正確に言うと、朝方ジョッギングしたところ、天気がよく、前日の豪雨のため水量も豊かで、写真を撮りたくなり、いったん昼食で帰宅したのち、カメラを持って出直したのだった。
桜の花は大半が散ってしまったが、陽光を浴びた新緑は、それはそれでまぶしかった。神田川沿いの桜の新緑にはちょっとした思い出がある。私は、2001年の2月、左足首を複雑骨折し、3月中はずっと入院し、4月に退院後も車イス生活を続け、ようやく連休近くになって歩けるようになった。そのとき、最初に散歩したのが新緑の神田川沿いだった。当時送ったお見舞いへのお礼状はがきを見ると、神田川沿いの新緑の桜並木の写真とともに、次の一句が添えられている。
葉桜やなにも気負ひのなき日々に 田中 律子
* * *
法明寺、南蔵院の桜 [散歩]
一昨日(3月27日)朝の神田川沿いの散歩では、ちょっと足を伸ばして近くのお寺、二箇所にも立ち寄った。一つは、豊島区南池袋の法明寺(ほうみょうじ)だ。歴史のある名刹で桜の名所としても知られている。私のふだんの散歩コースだが、今回初めて山門の中に入って、写真も撮ってみた。このお寺は、姿形がいいと前から思っていた。桜だけでなく、境内の椿も見事だった。
もう一つは、豊島区高田の南蔵院だ。住職さんが花好きなのか、さまざまな花の鉢が並べられており、前から気になっていた。今回は、風情のあるしだれ桜の写真を撮った。雨の中、お地蔵さんが寒そうだった。
<法明寺>
<南蔵院>
神田川沿いの桜並木と涙雨 [散歩]
昨日(3月27日)の朝早く、小雨がぱらつく中、私は神田川沿いの江戸川公園に楓の花の写真を撮りに行った(昨日の当ブログ参照)。楓の写真さえ撮れたらいいと思っていたのだが、せっかく来たのに桜並木を見ないのはもったいないと思い直した。幸い雨はそれほど激しくなかったので、結局、高田馬場近くまでの両岸を歩いた。やはりここの桜並木は見事だ。
帰路につくころ、雨はかなり激しくなっていた。自宅においてきた携帯に、親しい友人から御母堂の逝去を知らせるメールが入っていたことも知らずに、私は雨中、ほっつき歩いていたわけだ。自責の念と、そうかといって何ができただろうかという思いと、・・・さまざまな思いが交錯する。ただ、これが「涙雨」なんだという思いが募ってきた。合掌。
神代植物公園-桜 [散歩]
先週の木曜日(3月21日)、調布の神代植物公園に行ってきた。この2~3月に6回シリーズで受講したN社の写真講座の屋外実習の一環である。以前、調布に住んでいたので、何度か行ったことはあるが、写真撮影を主目的に訪れたのは今回が初めてだ。
この日は晴天で桜が見頃で、桃も満開だった。また公園の奥(深大寺の裏手)にある椿も見応えがあった。あと、脇役として、クリスマス・ローズ、新緑のカエデ、温室内の人の顔をした熱帯植物(Paphiopedilum venustum、ネパール、アッサム原産)なども印象に残った。フジ(4月終わり~5月初め)やバラ(5月中頃~7月、10月中頃~11月)の季節にまた来たい。
* * *
* * *
* * *
* * *
外濠の桜 [散歩]
3月23日(土)の朝、外濠の桜を見に出かけた。ニュースによると、東京ではこの日が今年最後の花見日和になる見込みだとか。ここのところ遠出が続いたので、今年の花見は身近な通勤経路である外濠にしたのだ。
飯田橋駅横の牛込橋を渡って右折し、まず、線路沿いの土手を歩いた。ついで、新見附橋を渡って左折し、市ヶ谷方向に向かって外堀通りを歩いたあと、今度は飯田橋方向に引き返した。感想をいくつか。
・ 桜並木のボリュームという点では、土手沿いよりも外堀通り沿いの方が豊かだと思った。
・ 桜は、川や堀など水との相性が良い。水面とのコントラストが美しいし、風でそよぐ花や枝と水面のさざ波との共鳴も良い。
・ この辺りのあちこちに菜の花が咲いていることに気がついた。
・ 外濠の中心にあるH大学、とりわけそのBタワーは、なかなかさまになっている。
「今日ね、もう何年ぶりかな、仕事で市ヶ谷に行ったのよ」
風呂から出ると、妻が絞り立てのグレープフルーツジュースを注いでくれた。
「市ヶ谷?」
「時間があったから大学のほうに歩いてみたんだけど、校舎が高いビルになってた」
「ああ、俺も写真で見たよ」
「あそこ、元々何があったんだっけ?」
「あそこ、なんだっけな」
(吉田修一『横道世之介』文春文庫、pp. 70-71)
昨日(24日)は、そのH大学の卒業式だった。私は、卒業生たちへの色紙に、「人生、いろんなことがあると思いますが、ときどき学生時代のことを思い出して下さい」と、素直な思いを書いた。
国営昭和記念公園-早春 [散歩]
一昨日(3月19日)の夜、親しい友人と立川で飲む約束をしていたが、天気が良かったので、早めに出かけて国営昭和記念公園に立ち寄った。正味1時間半程度(3月~10月は、土・日・祝日以外、17:00に閉園する)の散歩で、立川口から入って、「ふれあい橋」を右折、「さつき橋」の辺りで引き返すという短いコースだったが、十分楽しめた。
まず、目に止まったのは白木蓮の木があちこちにあり、花が満開だったことだ。「ふれあい橋」を渡って右折すると「梅園」の標示があったが、梅もまた満開だった。わが家ではとっくに散ってしまったが、梅の開花時期は都内でも随分とばらつきがあるようだ。梅以外に、赤い木瓜(ぼけ)の花や黄色い水仙が彩りを添えていた。早咲き品種の桜や芝生に生えた可憐な花もよかった。
* * *
* * *
* * *
椿山荘の椿 [散歩]
椿山荘の裏口は神田川沿いにある。私は、その前の散歩道をこれまで少なくとも二千回以上は通っているが、椿山荘の中には入ったことがなかった。ホテルも庭園も、その中にあるレストランや料亭もセレブな印象が強すぎて、どうも気後れしていたのだ(笑)。ところが、なぜか今回(2月17日)、入口脇にあるブース内の女性に「この中は自由に入れるんですか?」と聞いてしまった。答えは、自由に入ってよいし、無料とのことだった。
入ってみて驚いた。この庭園は半端ではない。山あり谷あり、池あり小川あり、滝まであるのだ。椿山荘というだけあって、椿の花があちこち咲いていた。この地はもともと椿が自生していた上に、山県有朋がかなり植樹したとのことだ。桜の木もあったので、花見時期はさぞや見事なことだろう。
江戸川橋、新江戸川公園 [散歩]
2月17日、小石川後楽園を訪れたあと、その足で江戸川橋に向かった。というのは、神田川沿いの散歩道の江戸川橋近くに梅の木が数本あり、その写真を撮りたいと思ったからだ。神田川沿いは、この江戸川橋付近から高田馬場まで、そして高田馬場から淀橋まで桜並木がずっと続いていて、花見のころは実に見事だが(2012年4月8日付、当ブログ「神田川の桜」を参照)、梅の木というのは珍しい。
江戸川橋近くの梅を見たあと、椿山荘の庭園(次回掲載予定)、新江戸川公園にも立ち寄った。新江戸川公園というのは、江戸時代の細川家の下屋敷の庭園の跡地を公園にしたもので、小石川後楽園を何分の1かに縮小したような感じだ。門を入ってすぐのところに、大きな紅梅が見事に咲き誇っていたが、この時期、ほかの花はほとんど咲いていなかった。でも、雪吊りを施した木が池に反射しているさまは美しかった。
<江戸川橋近くの梅>
<新江戸川公園>
小石川後楽園の梅 [散歩]
日曜日(2月17日)の朝、小石川後楽園に梅を見に行った。この庭園にはこれまで数回行ったことがあるが、この季節に行くのは初めてだ。パンフレットによると、寛永年間(1624~1643年)、水戸徳川家の初代、頼房によって作られ、2代光圀(例の「黄門さま」)が完成させた庭園で、光圀は号を「梅里」と称するほど梅を好んだという。
さて、庭園に入ってみたが、寒々とした光景で、梅は見当たらない。苔むした地表から霜柱が立ち上がり、福寿草や水仙がわずかに咲くだけだ。しかし、入口から最も奥まったところに梅林があり、6、7分咲きだった。白梅、紅梅が主だが、臘梅も数本あった。自宅のベランダには白梅が1本あるきりで、私はそれで十分満足しているが、白梅と紅梅が隣り合って咲いているさまも良いと思った。
湯島天神の梅 [散歩]
水曜日(2月13日)の午後遅く、湯島天神に梅を見に行ってきた。大半はまだ蕾だったが、ところどころ先駆けて咲いている花がよかった。梅は桜のように一気にワッと咲いてすぐに散ってしまうということがない。寒中、一輪でも、勇気を持って咲く。そして、長続きする。
湯島天神は、私が上京して最初に訪れた場所の一つだ。以前このブログに記したことがあるが、大学受験のために上京して、上野のビジネスホテルに宿をとったが(2013年1月15日付け、「雪の上野」)、試験会場の事前の下見を終えたあと、湯島天神にお参りしてからホテルに帰った。湯島天神のことは、高校の政経の担当だったM先生に教わった。東京出身で東京の大学を出た彼は、「受験の前に、湯島天神に寄って、お参りするといいよ」と言ってくれたのだった。
ホテルに戻ると、ちょうどロッキード事件の証人喚問の国会中継をやっており、思わず見入ってしまった。「記憶にございません」、「ピーナッツ」、「ピーシーズ」などがあっという間に流行語になった。1976年3月。あれから37年経ったかと思うと感慨深い。
永井荷風「日和下駄」-永代橋、佃島(2) [散歩]
前回の記事で記したように、昨年12月終わりの夕暮れ時、永代橋、佃島を訪れた(もっとも、写真を撮り始めた頃には既に日が沈んでしまっていた)。川面に映える建物や街路からの光は風情がある。江戸時代には、今よりずっと暗かったはずだが、それでも広重は夜の永代橋を描いている。
<広重画「永代橋佃しま」>
「この絵は、永代橋の下から佃島の方向を望んで、夜の白魚(しらうお)漁の有様を描いたものである。江戸湊も近くにあって、大型船が舫(もや)っている有様も描かれている。」「白魚漁は夜行われ、佃島沖には何艘もの舟が出て、篝火を焚き、四つ手網を使って白魚を獲っていた。暗夜の海上に点々として、篝火がゆらゆら燃える風景は江戸の風物詩の一つとなっていた。この漁火(いさりび)は遙か南方の高輪や品川辺りからも望むことができ、寒風が吹きすさぶ暗夜の漁火の光景はきわめて風雅であったという」(『江戸切絵図で歩く広重の大江戸名所百景散歩』人文社、1996年、p. 32)。
以下の写真は、今時の永代橋、佃島である。
<佃大橋>
<佃島から見た永代橋>
<佃大橋から勝鬨橋方向を望む>
<永代橋から見た佃島>
<佃島高層マンション街のクリスマス・イルミネーション>
永井荷風「日和下駄」-永代橋、佃島(1) [散歩]
1月13日(日)、好天に誘われて、永代橋(写真↑)、佃島、月島あたりを散策した。実は12月の下旬にも、夕暮れ時、永代橋や佃島の写真を撮りに出かけたことがある(次回掲載予定)。それはそれできれいだったが、やはり昼間の光景も見てみたかった。
永代橋からの眺めについては、永井荷風が「日和下駄」の中で推奨している。曰く、「大川筋一帯の風景について、其の最も興味ある部分は今述べたように永代橋河口の眺望を第一とする」(講談社文芸文庫版、p. 53)。「大川(おおかわ)」というのは、ここでは隅田川下流域の別称、「今述べたように」とあるのは、上の引用箇所の少し前に書かれたつぎの内容(一部省略)を指している。
「・・・荷船の帆柱と工場の煙筒の叢(むら)がり立った大川口の光景は、折々西洋の漫画に見るような一種の趣味に照らして、此後とも案外長く或一派の詩人を悦ばす事が出来るかも知れぬ。・・・全く石川島の工場を後(うしろ)にして幾艘となく帆柱を連ねて碇泊するさまざまな日本風の荷船や西洋形の帆前船を見ればおのずと特種の詩情が催される」(講談社文芸文庫版、p. 51)。
私自身も、ときどきクルマで永代橋を渡るとき、河口方向に見える佃島の高層タワーマンション群の光景が気になっていた。脇見運転をするわけにも行かず、一度ゆっくり歩いて眺めてみたいと思っていたのだ。実際、歩いてみると、川沿いに散歩道があり、なかなか魅力的なコースだった。
<永代橋から見た佃島>
<佃島から見た永代橋>
まず、地下鉄の門前仲町で降りて永代橋まで行き、次いで永代橋から佃島に渡り、さらに月島を散歩した。佃島や月島は高層マンションが多く建ち並ぶが、昔ながらの路地や家屋も結構残っていた。いったいどのようなコミュニティが形成されているのだろうか。月島では、もんじゃ焼きの店が並ぶ商店街も通ったが、行列が並ぶ店も、ほとんどお客さんがいない店もあった。これまた、果たして味や値段を反映した違いなのかどうか気になった。
<月島>
月島を散歩したあと、晴月橋を通って晴海に渡り、さらに春海橋を通って豊洲に渡った。高層住宅やオフィスが建つ殺風景な地区だが、印象深い光景もあった。かつて工場構内の貨物列車用にでも使われていたのだろうか、春海橋の横には廃線になった鉄橋とレールが残っていた。また、春海橋から望む上流の隅田川方向や、逆の河口方向の眺めも素晴らしかった。
<春海橋横の鉄橋>
<春海橋から上流方向を望む>
<ららぽーと豊洲の裏手から河口方向を望む>