「お天道様は見ている」か? [経済]
先週、7月17日付、日経朝刊1面のコラム欄「春秋」を見てドキッとした。「無責任で疑わしい欲求にかられた支配者に統治を許してはならない――。」何せ、安保関連法案が衆議院を通過した翌日だ。日経までも、ついに安倍批判に転じたのか、と半信半疑ながらよく読むと、さすがにそこまでは露骨に書いていない。まずはお決まりのナチス批判、そして中国共産党批判だ。しかし、中国で反体制派の拘束なんて今さら珍しいニュースではない。決してそのことだけを言いたかったのではないだろう。ようやく最後に「もって他山の石としたい」と結んで、日本も他人事ではないと匂わせている。
私も、確かに日本はおかしくなってきたと感じている。ただ、今日は少し別のことを書きたい。この問題と大いに関連はしているのだけれど。
私は大学で人事や組織に関することを教えている。その中で、組織の重要な意思決定や人事評価を行ったりする際、意思決定者や人事評価者は、①意思決定や評価を行うための能力、②それに必要な情報、③公正な意思決定や評価を行う動機の3つの条件を備えていなければならない、と強調している。(このことは、2013年6月18日付の当ブログ、「統一球問題とガバナンス」の中でも指摘した。)今年の授業でもこの話をしたのだが、ある社会人大学院生から次のような質問を受けた。
「先生は、人事評価者が自分の利害を考えて、部下の評価を甘くしたり、辛くしたりすることがあると言うが、人事評価者にはさらに上司がいて、その上司は不公正な評価が行われたら、何らかのペナルティーを人事評価者に与えるだろうから、それが抑止力となって、人事評価者は公正な評価を行う動機があるのではないか」という指摘だ。「お天道様は見ている」仮説とでも言おうか。
私は、「でも、実際は必ずしもそうはなってないよ。例えば、その評価者の上司は必要な能力や情報を持っているとは限らないじゃない?」などと反論したが、とっさに具体例まではうまく言えなかった。しかし、そのあと、適切な具体例がつぎつぎに大きなニュースとなって露見した。そこで明らかになったのは、評価者や意思決定者の上司(あるいはトップ)が必要な能力や情報を持っていないだけでなく、部下たちと、あるいは仲間内で「ぐる」になって不公正な評価や意思決定を行う動機があることだ。あるいは、部下たちがそうした上司やトップの意向を忖度して、不公正と思いながらも誤った評価や意思決定を行うことだ。
例えば、新国立競技場の建設問題。誰が一番のワルなのか、私にはよくわからないが、重要な意思決定に関わった責任者たちがお互いに責任を押しつけ合っていることは既に周知の通りだ。また、これらの責任者のうち何人かは「ぐる」(ここでは「仲間」の意)でもある。具体的に言おう。
森喜朗氏。元首相で2020東京オリンピック大会組織委員会の会長を務める。日本の体育界、特にラグビー界のドンとしても知られる(2005年から2015年までの10年間、日本ラグビーフットボール協会の第12代会長でもあった)。
河野(こうの)一郎氏。国立競技場の運営、スポーツ振興くじ(toto)業務などを行う日本スポーツ振興センター(JSC)理事長。東京医科歯科大学の学生時代、ラグビー選手として活躍。日本ラグビーフットボール協会理事で、森喜朗氏と親交が深い。
遠藤利明氏。山形1区選出の衆議院議員。2015年6月25日、五輪担当大臣に就任。「中大時代をラグビー一色で過ごした経験をもとに、国政ではスポーツ振興策にこだわってきた。」「東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相とはラグビーを縁に師弟関係を結び、安倍首相とはアジアに学校を建設する議員連盟を立ち上げた」(2015年6月26日付、産経ニュース)。
ちなみに、「東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会」役員(2015年4月1日現在)と、「ラグビーワールドカップ2019組織委員会」役員(2014年7月30日現在)で重複している者を書き出すと下表の通りとなる。一競技種目の関係者がここまで東京オリンピック組織委員会のトップとダブっているのは、どうみても異常だ。
ちなみに森喜朗氏は、最近、産経新聞の取材に対して次のように述べている(2015年7月17日付、産経ニュース)。
僕は(東京オリンピック)組織委に2つを言ってるんだ。1つは派閥を作るな。もう1つは自分の出身の組織を向いて仕事をするな。組織委員会に現在380人ほどいるが、来年には倍になる。その人たちがみんな自分の出身の組織を見て仕事をしたら一体どうなりますか。だから、自分の出身組織のことは考えずに五輪を成功させることだけを考えてやりましょうと。俺もいろいろ気を遣ってるんだよ。
大変正しいことを仰っているが、言っていることとやっていることは正反対である。ブラックジョークが過ぎると言うしかない。
もう一つ、最近の具体例としては、東芝の「不適切会計問題」がある。今年の前半は、改正会社法の施行、東証による「コーポレートガバナンス・コード」の適用など、コーポレートガバナンス改革で盛り上がったが、東芝のこの不祥事はルールを変えるだけでは不十分で、結局はトップの「ヒト」の問題であることを改めて思い知らせてくれた。
東芝はいわゆる「委員会設置会社」制度をとっており、取締役会の下に監査委員会が設けられている。しかしその5人のメンバーは、委員長を含め2人が社内出身者、3人が社外出身者で、社外出身者のうち2人は元外交官だという(2015年7月13日付、日経新聞・夕刊)。監査法人ですら指摘できなかった(とされる)問題を元外交官が見抜くのはほとんど不可能というものだろう。チェック機関の過半のメンバーは、適切なチェックを行う能力・情報と動機のいずれか、あるいはいずれも欠いていたというしかない。
新国立競技場も東芝も、問題があまりに大きくなりすぎたため、「お天道様」から隠し通すことはできなかった。しかし、よりスケールが小さく、巧妙に仕組まれたケースであればどうなっていただろうか。はなはだ心許ない。
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