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「柘榴坂(ざくろざか)の仇討」(2014年、日本映画) [映画]

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先週、映画「柘榴坂(ざくろざか)の仇討」を観た。観たいと思ったのは、いくつかの映画評から、この映画のテーマが「責任の取り方」であるらしいと知ったからだ。では、なぜ「責任の取り方」に興味が湧いたのか。話せば長くなってしまうが、一つは、ある出来事がきっかけで、組織のガバナンスに興味をもつようになったからだ。もう一つは、ある大企業で取締役を務められた人から、二人だけの酒席で「日本では責任を負うべき人が責任を取らない」と憤懣やるかたない様子で語られたことだ(彼は過去30年間に日本で起きた大きな事故から2つの具体例を挙げた)。

 

前置きはこの程度にして、この映画について簡単に紹介しよう。186033日、雪の桜田門外で大老・井伊直弼が暗殺された。直弼の警護役だった彦根藩士、志村金吾(中井貴一)は主君を守れず、切腹も許されず、暗殺者である水戸藩士のクビを取るよう命じられる。一方、暗殺者の一人、佐橋十兵衛(阿部寛)も切腹し損ない、世を忍んで生き延びる。13年後の雪の降る27日、金吾は十兵衛を見つけ、十兵衛が引く人力車に乗り、柘榴坂に差し掛かったところで停める。・・・

 

武士道とは腹を切ることでも、クビを刎ねることでもない・・・。原作者、浅田次郎の熱い想いが確かに伝わる結末だった。ところで、この映画にはいくつか印象に残るセリフ、やりとりがあったが、パンフレットで半藤一利氏が私と同じ箇所で心を揺さぶられたと書いていたのには驚いた。

 

元評定所御留役の秋元和衛が説いて聞かせるように言うシーンがある。

「仇討ちとはいえ、主君を守りきれなかった近習が、十三年もの間、生き恥を晒さねばならなかったのだ。どれほど辛かったことか・・・」

聞いていた妻の峯が「辛かったのは、その方お一人ではありますまい」と答え、仇討ちの本懐を遂げたときは? と問いかけ、さらに奥方はどうするのかと畳みかける。秋元があとを追って死ぬだろうと応じたとき、峯がきっぱりという。

「あなたはその手助けをなさるおつもりですか・・・」と。(半藤一利「『義』と『情』と」)

 

映画を見終わった後、品川駅前にある柘榴坂に行ってみた。ここで141年前、(たとえフィクションにせよ)武士道をかけた果たし合いがあったと想像するのは難しかった。それは、おそらくこの場所の外形的な変化によるものではない。それは、「時代精神」という言葉が適切かどうかわからないが、人々のものの考え方、振る舞い方があまりに変わってしまったからだ。

 

いまの世は、いうところの人間のモラル、誠実・信義・廉恥・質素など、すべてが捨て去られている。あるいは時代的な変貌をとげている。同じように、恩とか好意を与えられたことに全力最善をもって応えるという義も、形式化し滑稽視されている。されど、そういう武骨な頑なな生き方がいまの日本にあってはいちばん大事なのかもしれない。(半藤一利「『義』と『情』と」)

 

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