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フレデリック・フォーサイス『悪魔の選択(上・下)』(角川書店、1979年) [読書]

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今年の連休は(大体いつもそうなのだが)、遠出はせず、近くを散歩したり、本を読んだり、DVDを見たりして過ごした。読んだ本の一つが、フレデリック・フォーサイス『悪魔の選択』だ。フォーサイスは私が大学生から20代のころ(1970年代終わりから80年代)にかけて結構流行っていた。私もこの本や『ジャッカルの日』、『オデッサ・ファイル』を読んだ記憶がある。今回、そんな古い本を読み返すきっかけになったのは、混迷を続けるウクライナ情勢だ。確か、あの本もウクライナ問題を取り上げていたな、と。この本の訳者あとがきは、この作品は30年後にも読まれるだろうかとの質問に対し、フォーサイスが「おそらく読まれないでしょう」と答えたことを記しているが、そんなことはない。現に私は30年後に読み返したわけだから(笑)。

 

ストーリーは、ソ連の食糧危機、クレムリン内部の権力闘争、米ソ対立、その狭間にあるヨーロッパも含めた諜報合戦、ウクライナとユダヤ人の民族問題などが複雑に絡まりながら展開する。中心人物の一人は、アンドルー・ドレークというイギリス人だが、彼はウクライナからの亡命者の息子という出自を持つ。フォーサイスはウクライナの状況を簡潔かつ的確に描く。

 

「かつての帝政ロシアがそうであったように、革命後のソビエト帝国も、外部から見るかぎり一枚岩の強固さを保っているが、じつはふたつのアキレス腱を内にかかえている。ひとつは25千万の人民にめしを食わせるという難問である。もうひとつは、いうところの民族問題である。ロシア共和国の支配する14の共和国の中には、数十の非ロシア民族がいるのだが、そのうち最も人数が多くて、おそらく最も民族意識が強いのは、ウクライナ人である。」「ウクライナはその昔から、それが没落の原因となったのであるが、東西ふたつに分裂していた。西ウクライナはキエフからポーランド国境に至る地域で、残る東の部分は、数世紀にわたってロシア皇帝の支配下にあったため、西よりもロシア化の度合いが進んでいる。西は、ほぼ同じ期間、旧オーストリア・ハンガリー帝国の一部だったのである。・・・ウクライナ人のあいだに見られる西ヨーロッパ的なものの残滓は、読み書きひとつとっても明白で、たとえば彼らはローマ字を使い、シリル字母は用いない。また、宗教でいえば、彼らの圧倒的多数は東方帰一教会の信徒であって、ロシア正教には属していない。」(上巻、pp. 17-18

 

あることがきっかけで、ドレークはウクライナ内で反クレムリン活動を行うユダヤ人たちを仲間にし、彼らはKGB議長の暗殺に成功する。そのユダヤ系ウクライナ人はイスラエルに亡命し、世界にことの顛末を公表する計画だったが、ウクライナ脱出のハイジャックに失敗し、西ドイツに拘束されてしまう。そこで、第二の手段としてスウェーデンの大型タンカーを北海でシージャックし、ハイジャック犯のイスラエルへの移送を要求する。これを物語の縦糸とすれば、横糸は大国間のパワーゲームだ。この時期、ソ連ではかつてない食糧危機が進行しつつあった。アメリカやイギリスはその情報をかなり正確に把握していたが、問題はそれにどう対応すべきかだった。クレムリン内部では対欧米主戦論を主張するグループが、現書記長の「失政」をネタに権力闘争を仕掛け始めており、ソ連をあまり追い詰めるのも危険だったのだ。諜報合戦で大活躍するのが、イギリスの秘密情報部に所属するアダム・マンローだ。ロシア人並みにロシア語を駆使する彼は組織に対してある秘密を持っていた。彼のかつての恋人がロシア人で、何とクレムリン内部で働いていたのだ。ドレークと並ぶ、この物語のもう一人の主人公はマンローと言ってよいだろう。

 

フォーサイスの魅力のひとつは緻密に組み立てられた筋立てだが、ところどころにさりげなく書き込まれた寸評も魅力的だ。例えば、30年前に読んだとき以来、(詳細はともかく、その主旨が)ずっと記憶に残ったのはつぎの一節だ。

 

「人間世界の営みには数限りない分野があり、どんなに狭く、怪しげな分野にも、それぞれその道の専門家がおり、信奉者がついているものである。そしてその連中は、集まってしゃべり、議論し、情報を交換し、最新のゴシップを分かちあう場所を必ず一か所くらい持っている。東地中海における船舶の動きは博士論文のテーマにこそなりにくいが、この地域で失業中の船員-アンドルー・ドレークはその一人に化けていた-にとっては大いに興味をそそられる話題である。こうした船の動きについては、ピレエフス港のヨットハーバーの前にある、カボドーロという小さなホテルが、その情報センターになっていた。」(上巻、p. 178

 

その後、インターネットの発達によって、「数限りない分野」の情報が全世界的な規模でウェブ上に共有されるようになったが、まだウェブ化されていない(あるいは、決してされることない)貴重な情報が一方で無限にあるに違いない、と思ったりする。この本が出版されたあとの展開ということで言えば、19911225日のソ連崩壊がある。本書の英語版原著の出版が1979年だったことを考えると、つぎのセリフはけだし卓見と言うべきだろう。

 

「いつか、あまり遠くない将来、ロシア帝国は瓦解しはじめるだろう。いずれ近いうちに、ルーマニア人が愛国心を発揮するだろう。ポーランド人やチェコ人も。つづいてドイツ人やハンガリー人が、バルト人やウクライナ人が、グルジア人やアルメニア人が-ロシア帝国は、ローマ帝国や英帝国と同じように、ひび割れ、崩れ去るのだ。支配者たちの傲慢さが奴隷たちの忍耐の限度を越えるのだ。」(下巻、p. 205

 

ドレークが、乗っ取ったタンカーの船長に語った言葉だ。セリフの半分以上は当たっているが、歴史はなかなか単純に単線的には進まない。それは、「傲慢さ」と「忍耐の限度」の間にかなり大きな幅があるせいかもしれない。

 


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