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ヘンリー・ミンツバーグ『マネジャーの実像』(日経BP社、2011年) [経済]

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先々週から数日かかってヘンリー・ミンツバーグ『マネジャーの実像』を読み終えた。以前、同じ著者の『MBAが会社を滅ぼす』(日経BP社、2006年)を読んで面白かったこと、仕事の関係で読む必要があったこと、ある経営学者がミンツバーグと私の顔が似ていると言ったこと(笑)などがきっかけだ。(ちなみに、最後の点について補足すると、私と言うより、私の父方の祖父(故人)と確かに似ている気はする。)

 

読み終えて、翻訳ものの経営学書としては読みやすい方だと思ったし、内容も共感する点が多かった。以下に、全体の概要メモを記すとともに、最後に若干の感想を述べたい。なお、以下の概要メモの15の見出しは、私が内容に即してつけたもので、本書の元々の各章のタイトルとは異なる。

 

     *     *     *

 

1.マネジャーは何をしているか?(第1章、第2章)

著者は旧著『マネジャーの仕事』(1973年)で、この問に対して一応の答えを出しているが、本書は、著者がより最近おこなった29人のマネジャーに対する調査や、多くの先行研究をもとに結果の吟味や分析の拡張を行っている。

 

まず、マネジャーについて、「マネジャーとは、組織の全体、もしくは組織内の明確に区分できる一部分に責任をもつ人物のこと」(p. 18)と定義している。

 

マネジャーの仕事の特徴としては、以下の点に焦点を当てている(p. 28)。

- いつも時間に追われている。

- さまざまな活動を短時間ずつ行う。

- 互いに関連性のない業務を細切れに行う。

- 頻繁に自分自身でものごとを実行する。

- 非公式・口頭のコミュニケーションを好む。

- 人との接触の多くをヨコの人間関係が占める。

- しばしば目に見えない形でコントロールを行う。

 

これらの特徴を強調することによって、経営学(の一部)に根強く残る「神話」に対するアンチテーゼを提示している。それらの「神話」とはつぎのようなものだ。

- マネジャーは内省にもとづいて、体系だった計画を立てる(p. 29)。

- マネジャーは正式なシステムを通じて、すでに集約ずみの情報を入手して活用する(p. 38)。

- マネジメントとは主として、「上司」と「部下」の上下関係に関わるものである(p. 44)。

- マネジャーは、時分の時間、活動、所管部署を抜かりなくコントロールしている(p. 46)。

 

著者はインターネットの効用についても懐疑的だ。「インターネットの影響でマネジャーはますます仕事に追われるようになり、その結果、マネジメントが機能不全に陥り、表面的になり、現場と乖離しすぎ、状況に流されすぎるようになるおそれがある」(p. 60)。

 

2.マネジャーがしていることをどうモデル化するか?(第3章)

著者は、マネジャーが何をしているかに関し、個別の構成要素を列挙してもあまり意味がないという。なぜなら、マネジャーが全体として何をしているかが重要と考えるからだ。そうした全体像を理解するための「一般的なモデル」として、つぎのようなものを提示する(p. 71)。

 

それは、中心点を共有するいくつかの楕円形が重なり合ったイメージ図で示される。中心に来るのは①「マネジャーの頭の中」、その周囲を取り囲むのが②「情報の次元」、さらにその周囲にあるのが③「人間の次元」、最後に④「行動の次元」がある。マネジャーは、自分が正式な権限をもつ部署・組織と外部環境(他部署や組織外)にはさまれて、自分が担当する部署・組織が役割を果たせるようにする。

 

上の①~④はタイトルだけでは内容がよくわからないだろうから、簡単に説明しておく。①「マネジャーの頭の中」に含まれるのは、自分の頭の中で、仕事の基本設定を考えることと、スケジュールを立てることである(p. 73)。

 

②「情報の次元」は、マネジャーが情報を用いてほかの人間が必要な行動をとるよう仕向けることである(p. 77)。これにはコミュニケーションを取ることと、コントロールすることが含まれる。

 

③「人間の次元」は、マネジャーがほかの人たちの背中を押して、必要な行動をとるよう仕向けることである(p. 95)。②「情報の次元」との違いは、人々がその意向に関係なく行動を取らされるのではなく、自発的に望んで行動を取るように促すことだ。これには、組織内の人々を導く場合と、組織外の人々と関わる場合がある。

 

④「行動の次元」は、マネジャー自身が直接、具体的、積極的に行動することだ(p. 123)。なお、ここで言う「行動」には、上記①~③の内容は含まれず、ある業務を完了させるために必要な行動を自分自身で取ることである。

 

こうしたモデルを提示した上で、著者は2つの留意点を強調する。一つは、情報の次元、人間の次元、行動の次元の3つの間に適切なバランスが求められることである。「三つの次元の役割をすべて果たしてはじめて、マネジャーはマネジメントに不可欠なバランスを保てる」(p. 137)。もう一つは、3つの間のバランスは時と場合によって異なり、そうした変化に対応する必要があることである。「バランスの取れたマネジメントは、そのときどきに直面する課題に合わせて、さまざまな役割の比重をたえず変化させることによって実現する」(p. 146)。ちなみに、バランスや環境との適合性は、本書を通じてしばしば登場するキーワードだ。

 

3.マネジャーがしていることはなぜ多様なのか?(第4章)

これまで見てきたのは、主にマネジャーがしていることの共通性だが、一方で、マネジャーの間に見られる多様性をどう説明するかという問題がある。先行研究が、注目してきたのはつぎのような要因だ(p. 151)。

- 外部的要素: 文化、官民などのセクター、業種

- 組織的要素: 組織タイプ(起業家型、専門家型など)、歴史の長さ、規模、発展段階

- 職務的要素: 職階、監督する業務・機能

- 一時的要素: 短期的圧力、マネジメント手法の流行

- 個人的要素: 経歴、キャリアの長さ(当該役職、組織、業界での)、個人的スタイル

 

これらの要因を、著者が最近おこなった29人のマネジャーに関する調査結果に当てはめてみたところ、「大きな影響を及ぼしている要素はほんの少しにすぎなかった」。すなわち、「研究者と実務家の両方がとりわけ重視している要素(国民性やマネジャーの個人的スタイルなど)は、一般に思われているほどマネジャーの行動に影響を及ぼしていないのかもしれない。一方、あまり重視されていない要素(組織のタイプや業種など)のなかには、一般的なイメージ以上に大きな影響を及ぼしているものがあるようだ」(p. 152)。

 

例えば、個人的スタイルは、マネジャーが「どのように」するかには影響を与えていたが、「なに」をするかには弱い影響しかなかった(p. 196)。それは、何をするかは環境によっておおむね決まり、自分の仕事の内容を好き勝手に決めているマネジャーはほとんどいないからだ(p. 197)。

 

著者は環境との適合性を一貫して強調しているが、こうも言っている。「マネジャーとして最も成功を収めるのは、環境に合わせてスタイルを変えたり、自分のスタイルに合わせて環境を変えようとしたりする人物ではなく、ましてや、あらゆる環境で通用するスタイルをもっていると自負する「プロの」マネジャーでもなく、それぞれの環境に適したスタイルを元々もっている人物なのかもしれない」(p. 200)。

 

4.マネジャーの仕事はなぜ難しいのか?(第5章)

マネジャーはさまざまなジレンマを抱えながら仕事をしているが、ここでは13種類のジレンマを取り上げている。例によってタイトルだけではわかりにくいものが多いので、簡単な説明を加えておく。

 

(思考のジレンマ)

・①上っ面症候群: 目前の仕事を素早く片付けて行かねばならないため、ものごとをじっくり考える余裕がない(p. 244)。

・②計画の落とし穴: 多忙を極める中で、未来を見据え、計画を立て、戦略を練り、ものごとを考えることができない(p. 246)。

・③分析の迷宮: 分析によってものごとを細かく分解しても、それを一つにまとめ上げることができない(p. 251)。

 

(情報のジレンマ)

・④現場との関わりの難題: ものごとを広く浅く知るようになることで、現場の情報に疎くなってしまう(p. 259)。

・⑤権限委譲の板挟み: ④とは逆に、マネジャーが業務の実際に詳しいと、他人に仕事を任せづらくなる(p. 268)。

・⑥数値測定のミステリー: 数値測定に頼れないとき、どのようにマネジメントしたらよいかわからない(p. 272)。

 

(人間のジレンマ)

・⑦秩序の謎: 組織には秩序が必要だが、ときには現状を変える必要もある(p. 279)。

・⑧コントロールのパラドックス: 組織外からの変化に対応しなければならないとき、組織の上層部から秩序維持の圧力がかかってくる(p. 284)。

・⑨自信の罠: マネジャーの仕事は気弱な人間や自信のない人間には務まらないが、自信過剰な人間も困る(p. 288)。

 

(行動のジレンマ)

・⑩行動の曖昧さ: マネジャーには決断力が欠かせないが、複雑で微妙な差異が大きな意味を持つ環境で、どのように決断力を発揮すべきかわからない(p. 291)。

・⑪変化の不思議: 継続性を保つ必要がある状況で、変化をマネジメントしなければならない(p. 296)。

 

(全体的なジレンマ)

・⑫究極のジレンマ: マネジャーは、数々のジレンマに同時に対処しなければならない(p. 299)。

・⑬私のジレンマ: マネジャーが直面する数々のジレンマを個別に論じてきたが、どれも根は同じに見える。それをどう説明すればよいかわからない(p. 302)。

 

これらのジレンマについて著者はさまざまなアドバイスを書いている。例えば、④現場との関わりの難題に関しては、中間管理職の役割が重要であるとか、⑥数値測定のミステリーに関しては、数値情報と非数値情報のバランスが重要であるなど。しかし、著者自身、最初に断っていることだが、これらの矛盾は緩和できたとしても消滅することはない。折り合いをつけられたとしても解決することはない(pp. 242301)。「繰り返しになるが、重要なのは適切なバランスを取ることだ。ただし、それは固定的なバランスであってはならない。たえず変化する動的なバランスを取る必要がある」(p. 300)。

 

余談だが、これとの関連で著者はつぎの引用をおこなっている。「アメリカの作家F・スコット・フィッツジェラルドいわく、『ある人が第一級の知性をもっているかどうかは、二つの相反する考えを同時に受け入れ、しかもその両方を機能させ続けられるかどうかでわかる』」(p. 301)。これって、パスカルの「パンセ」のつぎの一節と同趣旨だ。人がその偉大さを示すのは、一つの極端にいることによってではなく、両極端に同時に届き、その中間を満たすことによってである」(2012519日付、当ブログ参照)。

 

5.どういうマネジャーがいいのか?(第6章)

おそらく多くの実務家が、どんなマネジャーが優秀なのか、そのための条件は何かに興味を持っていると思う。著者は、さまざまな先行研究をもとに「優秀なマネジャーに求められる資質」をリストアップしている(p. 305)。しかし、著者自身はこうしたリストの効用には否定的だ。どんなマネジャーにも欠陥はあり、問題はある特定の環境下でその欠陥が致命的な弊害を生まないことだと考えるからだ(p. 307)。

 

そうした観点から、組織に弊害をもたらすようなパターンをいくつか挙げている。①マネジャー本人にマネジャーを務める意思や能力がない場合(p. 312)、②マネジャーが行う仕事そのものが遂行不可能な場合(p. 314)、③マネジャーが適材適所でない場合(p. 315)、④成功(体験)が逆に失敗をもたらす場合(p. 317)である。これらのうち③に関してつぎのように言っている点が注目される。「しかるべきマネジメント教育を受けた人物であれば、どのような組織やプロセスでもマネジメントできるというのは、誤った考えだ。学校の運営を元軍人にまかせるべきだという議論があるが、それなら元校長に軍隊を運営させてうまくいくのか」(p. 315)。

 

一方、組織が成功するための条件は何か。これは失敗の場合以上にデータが不足しているが、考え方の枠組として、タペストリー(壁掛けなどに使われる織物)を織りなす「7本の糸」という観点を提示している(p. 320)。7本の糸とは次の通りだ。①エネルギーの糸(マネジャーがエネルギッシュなこと)、②振り返りの糸(マネジャーが謙虚に振り返ること)、③分析の糸(マネジャーが形式知と暗黙知の両方を有すること)、④広い視野の糸(マネジャーが広い視野をもっていること)、⑤協働の糸(マネジャーが、組織内外の人々が力を合わせて仕事するのを後押しすること)、⑥積極行動の糸(マネジャーが、振り返りと行動を組み合わせて、地に足のついた行動を取ること)、⑦統合の糸(マネジャーが、以上全ての要素を統合すること)。これら7本の糸がうまく織りあわされて組織はうまく機能する。

 

マネジャーの選考、評価、育成についてもいくつかアドバイスしている。まず、選考については、

- 候補者の資質を見るより、仕事内容と組織環境に照らして、欠点を慎重に検討した方がよい(p. 342)。

- マネジャーを内部昇格させる場合、候補者を最もよく知っている人たち、すなわちその部下に発言権を与える(p. 343)。

 

マネジャーの評価に関するアドバイスはつぎの8つだ。

- マネジャーが機能するか否かは組織との相性で決まる(p. 346)。

- 普遍的に有能なマネジャーなど存在しない(p. 346)。

- どのような組織でもマネジメントできる「プロのマネジャー」も存在しない(p. 346)。

- マネジャーを評価するには、その組織がどの程度成功しているかを評価することが不可欠である(p. 346)。

- マネジャーがどの程度成果をあげたかは、組織が成果を高めるのにどの程度貢献したかによる(p. 347)。

- マネジャーの評価は常に相対的である。着任時の組織の状態や、ほかの人物がその職に就いたと仮定した場合との比較にもよる(p. 347)。

- マネジャーを評価する場合、部署や組織の中だけでなく、もっと広範囲に及ぶ影響を見るべきである(p. 347)。

- マネジャーの仕事の質は数値で測れない。人間の頭を使って判断するしかない(p. 350)。

 

マネジャーの育成に関するアドバイスはつぎの5つだ。

- マネジャーは教室ではつくれない(p. 355)。

- マネジメントは、さまざまな経験や試練を通じて、仕事の場で学ぶもの(p. 355)。

- マネジャー育成プログラムの役割は、マネジャーが自分自身の経験の意味を理解する手助けをすること。そのために振り返りを後押しすべき(p. 356)。

- マネジャー育成では、マネジャーが学習の成果を職場に持ち帰り、組織に好ましい影響を与えることを目指すべき(p. 357)。

- マネジャー育成に関わる活動は全て、マネジメントという行為の性格に沿って構成すべき(p. 357)。

 

     *     *     *

 

以下、若干の感想を記す。私自身は、末端マネジャーの経験が何度かあるに過ぎないが、本書に書かれたマネジャーが何を行っているかとか、その望ましい(あるいは望ましくない)特性については違和感なく読めた。例えば、私がかつてある組織で係長をしていたとき、いろんな仕事(「雑用」が多かった)が脈絡なく飛び込んできて、その処理に追われ、「本来業務」になかなか手をつけられないというフラストレーションを抱えていたが、そうした悩みは何も私だけではなかったんだ、と認識を新たにした。また、部下としていろんなマネジャーに仕えた経験があるが、その時に観察したマネジャーのさまざまな行動様式も本書の指摘と大いに重なっている。

 

一方で、本書は、優秀なマネジャーはいかに行動すべきか、あるいは、どのようなマネジャーが優秀かといった点については禁欲的で安易な決めつけを避けている。これを物足りないと感じる読者がいるかもしれないが、根拠薄弱な決めつけをする方がよほど罪深い。著者が強調するように、いかに行動すべきかは、さまざまな観点をバランスよく考えて決めるべきであるし、そのバランスも環境や事情が異なれば違ってくる。どんな組織、環境下でも優秀なマネジャーなど存在しないというのもその通りだろう。アメリカでは、優秀なCEOが異なる業種の大企業を華麗に渡り歩くといったイメージがあるが、それは多分に誇張されたものではないか。

 

さらに、著者の指摘は控えめに見えるかもしれないが、現実のケースに適用する際、充分有益な示唆を与えてくれる。例えば、近年、日本でも公的機関のトップに民間企業出身者を登用する例が増えている。公的機関でも効率性は重要な評価基準の一つであり、民間企業出身者の中にその適任者がいる可能性はもちろん低くないだろう。しかし、公的機関は民間企業以上に公共性が強く要請されているのが普通であり、民間企業出身者がそれに相応しい資質を備えているかとなると、何とも言えない。そもそも、民間企業出身者という大ざっぱな括り自体、その中の多様性を無視した乱暴な議論だ。いわんや時の権力者が、自分と政治的な主義主張が近いとの理由で、公的機関のトップを決めるなどといったことがあるとすれば論外と言うしかない。


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