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シンガポール、という国 [シンガポール]

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博物館を1日に3ヵ所もハシゴするとさすがに疲れる。夕食は、中華街の屋台でとろうと思っていたが、アジア文明博物館に併設されたアジアン・レストランでそのままとることにした。シンガポール川をぼんやりと眺めながら、ビールを飲んで、6日間のさまざまな出来事を反芻した。

 

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シンガポールの歴史。さっき訪ねたばかりのアジア文明博物館の説明パネルには、「シンガポールの歴史は、1819年のイギリスによる開港で始まったと思っている人が多いが、それ以前からマレー王国(The Malay Kingdom)の人たちが住んでおり、アジア中の船舶を受け入れていた」と書いてあった。確かに、1819年に始まったというのは極論だ。しかし、日本のように、1万年以上前の遺跡があるとか(縄文時代)、4世紀頃から統一政権があった(大和朝廷)、というのとはかなり事情が違う。国立博物館やアジア文明博物館の説明パネルを総合すると、シンガポールの歴史は概略、つぎのようになる。

 

5世紀から、中国やインド行きの舟がマラッカ海峡を通っていた。

シンガポール(Temasek、シンガポールの旧名)は、1415世紀までには、そうした寄港地の一つとして知られるようになった。しかし、それ以前の歴史について記述したものはほとんど残っていない。

中国の元王朝(1314世紀)時代の陶器の破片が、シンガポールで発見されている。

東南アジアの貿易センターとしての都市間競争が激しく、シンガポールは15世紀初頭にマレー半島のマラッカにその座を奪われた。そして、マラッカの覇権は、16世紀初め、ポルトガルに征服されるまで続いた。

 

シンガポールの停滞は、1819129日、イギリス人のトマス・スタンフォード・ラッフルズがシンガポール川に上陸し、その港湾としての価値を再発見するまで続いた。当時、シンガポールは、名目的にはジョホールのサルタン(the Sultan of Johor)に支配されており、彼はオランダに忠誠を誓っていた。しかし、1824年、オランダはシンガポールがイギリス領であることを認めた。つまり、シンガポールという国は、日本の明治維新の約40年前、イギリスの植民地としてスタートしたと言ってよい。

その当時、シンガポールに住み着き、働いていた最大の集団は中国人だった。彼らの2大出身地は、Hokkiens(福建人)とTeochews(潮州人)であり、商業、農業、工芸、労務などに従事した。

インド人の植民は、シンガポールがイギリスの植民地だったことと関係がある。インド人は当初、イギリスの東インド会社から、ついでインドの植民地政府から派遣された。

そして、イギリスを初めとする欧米人も租界地をつくって住み着くようになった。

 

国立博物館にあった説明パネルによれば、「19世紀の英国領マラヤは、稼ぎを得るための一時的な場所にすぎませんでした。中国やインドから出稼ぎに来た人々はほとんどが男性で、ここで家庭を持つ意味も意志もありませんでした」、「20世紀初頭から半ばにかけて、女性の移民がかなり増えたことから、男性労働者が結婚相手を見つける機会も多くなりました」とのことである。

 

私は、何も歴史が長いか短いかでその国を評価しようとは思わない。ただ、日本とシンガポールやアメリカとでは、やっぱり何か違うな、と思う。良きにつけ悪しきにつけ。

 

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シンガポールの言語事情。現在、シンガポールの学校教育では、英語が第一言語であり、第二言語として、中国語(北京語)、マレー語、タミール語のいずれかを学ぶ。日本の旅行ガイドブックの中には、シンガポール人の英語は訛りが強いと書いているものもあるが、私の印象ではこの評価はたぶんに「偏見」が含まれている。少なくとも若い世代では、アメリカ人以上に達者なアメリカ英語を話す人が多い。私と同じ世代(50代)では、訛りのある人も多いが、インド人やフィリピン人よりは癖が少ないと思う。

 

私が興味あるのは、むしろ中国語だ。以前、ハワイに住んでいたとき、日系人は二世になると日本語が話せなくなるが、中国系は二世、三世でも中国語を話せると聞いたことがある(実際、私の観察でもその通りだった)。この点を、今回、会議で知り合った中国系の(おそらく)50代の女性に聞いたところ、(家で使っていた)広東語なら話せるという。ただ、彼女の世代は、シンガポール政府の反中共政策により、学校で中国語を学ぶ機会がなく、漢字は十分に書けないという。その点、今の若い世代は学校で中国語(北京語)を習い、試験もあるので漢字を書けるはずだという。日本には、小学校からの英語教育反対論者がおり、その論拠は、日本語がおろそかになってしまうというものだが、私自身は、オランダや北欧、そしてシンガポールや香港の若者ができて、日本の若者ができないことはないだろうと思っている。

 

シンガポール人のほぼ全員が英語を話せるというのは、欧米資本の直接投資に対する大きな誘因の一つになっていると思われる。そして、日本以上に、海外との交易に依存せざるを得ないこの国にとって、それは大きなアドバンテージだ。しかし、私が一方で複雑な気持ちを抱いたのも事実だ。

 

シンガポール国立博物館での一コマ。英語を母国語とする白人女性2名(おそらく教師)が小学生のグループを引率し、展示物の説明をしていた。(100年ほど前の金持の中国人の)霊柩御輿を前に、“You know what this is?”“You know why it is?”などと、少々鼻につく上から目線の物言いで生徒に尋ねていた。外国人から外国語(?)で自国の歴史を学ぶということを、日本人は想像したり、受け入れたりすることができるだろうか。

 

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シンガポールと言えば、香港と並んで、欧米系多国籍企業のアジアにおける堂々たるビジネスセンターだ。その強力な国家主導による新自由主義的政策は(何たる名辞矛盾!)、日本にもかなりの信奉者がいるようだ。その評価はともかく、シンガポールの経済・社会政策は大変興味深い。私自身は、深く研究したことはないが、いくつかの興味深い論点を挙げることはできる。

 

2次大戦後の独立国としてのシンガポールの基礎を形作ったのは、言うまでもなく初代首相、リー・クアンユーだ。1963年に結成されたマレー人中心のマレーシアから、1965年、華人中心のシンガポールは分離・独立する。独立シンガポールで1990年にゴー・チョクトンにその座を譲るまでの25年間、リー・クアンユーは首相の座を務めた。彼が主要メンバーの一人として、1954年に結成した人民行動党(PAP : People’s Action Party)は、発起人の多くに労組関係者が名を連ね、「独立・民主・非共産・社会主義マラヤ」を標榜していた(萩原宣之『ラーマンとマハティール』岩波書店、1996年、p. 87)。

 

PAPのこのような前身からして、シンガポールでは労働組合の政治的影響力が強い(唯一のナショナルセンターは、シンガポール全国労組会議NTUC)。おそらく、ヨーロッパ諸国以外では、国政レベルでの政労使3者構成のガバナンスの仕組みが最も確立している国と言ってよいかと思う。(日本もかつては、そう言い得たが、2001年発足の小泉政権以降は、そのように言うことは困難だ。)

 

・ ともあれ、一昔前までは、シンガポールと言えば、社会主義的、専制的、規制国家といったイメージが強かったことは否めない。アメリカの経済学者、スティグリッツは、強権政治はたまにいいこともあるが、多大な害悪をもたらしたと述べ、その「たまにいいこと」をもたらした例としてリー・クアンユーを挙げたものだ。

 

In practice, we see the great harm, as well as the occasional good, that has resulted from strong leadership: Mao’s great economic failures the backyard furnaces and the conversion of land to wheat involved untold costs; Stalin and Hitler must be included in the roster of strong leaders whose negative net product must be tallied against the occasional good leadership, such as that of Lee Kuan Yew in Singapore (Stiglitz, Joseph E. Whither Socialism? The MIT Press, 1994, p. 160).

 

・ 市民生活に関するさまざまな規制や、交通渋滞緩和のための自動車購入に対する数量制限や高率課税は今も健在だ。こうしたシンガポールが、TPPの主唱国の一つであり、欧米の多国籍企業から高い評価を受けているのは何とも皮肉なことだ。自由化とか規制撤廃という言葉は、理想状態へ近づくかのごとき語感があるが、もっと冷静に考える必要がある。この地球上にルールのない国はない。そして、特定のルールは誰かにとっては有利であり、誰かにとっては不利である。つまり、ルールをなくす、という選択肢はないのであって、どのようなルールにすべきかが問題なのである。

 

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それにしても、シンガポールの永遠の(?)与党、人民行動党(PAP)というのは、もはや社会主義政党ではなくなってしまったのだろうか。PAPのホームページを見ると、その使命(mission)は、“To build a fair and just society where the benefits of progress are spread widely to all.”(進歩の利益がみんなに広く行きわたるよう、フェアで正しい社会を築くこと)だ(http://www.pap.org.sg/)。そして、それを取り巻くように4つの基本理念(core values)がある。“Honest”(正直)、“Multiracial”(多人種)、“Meritocratic”(実力主義)、“Self-reliant”(自助)だ。4つめの「自助」の項には、ご丁寧に“We will avoid creating the dependency syndrome a welfare state generates.”(福祉国家が生み出した依存症候群を避ける)とある。どうやら社会主義とは決別したようだ。

4つの基本理念から派生した7つの特徴がさらに続くが、いずれも政党と言うよりも、企業の理念、目標のようだ。イデオロギー色は極力抑えられているが、「フェアで正しい社会」が具体的に何を意味するかは、イデオロギー抜きには決まらない。それが、「実力主義」や「自助」で決まるとすれば、ずいぶん「新自由主義的」と言ってよい。開発独裁から新自由主義への転換、きわめて興味深い現象だ。

 

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シンガポールの2012年の人口は531万人で東京都23区(900万人)の約6割、面積は716km2で東京都23区(621 m2)の約1.15倍だ(シンガポールの数値は、Department of Statistics Singaporeによる)。人口密度は東京都23区の約半分になる。つまり、過密度合いは東京都心より低いが、面積は東京都心よりやや大きい程度で、まさにコンパクトで効率的な都市国家と言える。そのことだけからしても、日本全体がシンガポールのようになることは想像しにくい。しかし、このユニークな国は、社会科学者に多くの知的好奇心を呼び起こす。そんなことをあれこれ考えながら、シンガポールの最後の夜を過ごした。

 

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YANG

この地球上にルールのない国はない。そして、特定のルールは誰かにとっては有利であり、誰かにとっては不利である。つまり、ルールをなくす、という選択肢はないのであって、どのようなルールにすべきかが問題なのである。
by YANG (2013-05-30 21:02) 

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