パスカル「パンセ」-もしも他人が何を考えているか、完全にわかったら・・・ [パンセ]
昨日のブログで、オーウェルの小説『1984年』では、他人が何を考えているかわからないという不信感の連鎖が恐怖の背景にあると指摘した。しかし、逆に、他人が何を考えているか、すべて手に取るようにわかったとしたらどうだろうか。おそらくそれはそれで恐ろしい世の中に違いない。そもそも、自分の考えがすべて他人に知られてしまうとしたら、人間はおよそ意味のあることを自由に考えられるだろうか。
次の言からすると、パスカルはそのことに気づいていた。
「もしもすべての人が、それぞれが、他の人たちについて言っていることを知ったとしたならば、この世に四人と友人はあるまいということを、私はあえて提言する。このことは、人が時に不謹慎な告げ口をするところから生ずる喧嘩によっても、明らかである」(B101、S646、L792)。«Je mets en fait que si tous les hommes savaient ce qu’ils disent les uns des autres, il n’y aurait pas quatre amis dans le monde. Cela paraît par les querelles que causent les rapports indiscrets qu’on en fait quelquefois.»
私は、いわゆるソーシャル・ネットワーキング・サービス(social networking service、SNS)には未だ怖くて手が出せないでいる。知ることのメリットとデメリット、知らないでいることのメリットとデメリットは、情報流通量の増大に伴い、今後ますます厄介な問題になっていくことだろう。
*写真は、Albert Guillaume (1873-1942)作の「遅刻者」(Les retardataires)。パリのカルナヴァレ博物館にて。
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