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宮沢賢治「グスコーブドリの伝記」 [読書]

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宮沢賢治の小説「グスコーブドリの伝記」をもとにしたアニメ映画が昨日公開されたようだ。ここのところ以前からため込んでいた仕事に加え、急に入ってきた仕事もあり、当面、観に行くことは難しそうだ。そこで、映画の代わりに小説を読んでみた。ちくま文庫「宮沢賢治全集」の第8巻に所収されている。私は、10年くらい前、骨折で病院に1ヵ月間入院したとき、「宮沢賢治全集」の第6巻、第7巻、第8巻を読んでおり、今も手許に持っている。ただ、残念ながら内容は忘れてしまっていた。

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小説の主人公は、グスコーブドリという。イーハトーブの大きな森の中に生まれ、お父さんは、グスコーナドリという名高い木樵り(きこり)で、お母さんと、ネリという3つ下の妹と一緒に暮らしていた。ブドリが10歳になったとき、この地方を冷夏が襲い、翌年も繰り返されて「ほんたうの飢饉」になってしまった。ある日お父さんは、森に出かけていき、帰ってこなかった。お母さんもその後を追って家を出て行き、帰ってこなかった。幼い子供を残して、自ら「口減らし」を決行したのだった。ブドリとネリは、お母さんが「お前たちはうちに居てあの戸棚にある粉を二人ですこしづつたべなさい」と言われたのにしたがい、何とか糊口をしのいだ。

 

20日ほどして、「この地方の飢饉を救けに来た」と名乗る見知らぬ男が訪ねてきて、ネリをさらっていく。一人残されたブドリは、「てぐす工場」を始めた男と出会う(「てぐす」とは、ヤママユガ科のテグスサンという昆虫の幼虫からとった絹糸腺を酸で処理して作った釣り糸のこと)。この男は、自分は森全体を買い取ったと言い、ブドリたちが住んでいた家も「てぐす工場」にされてしまっていた。ブドリはこの男のもとで働くが、1年と続かなかった。地震と噴火によって、てぐす事業の存続が不可能になったからだ。

 

ブドリは森を抜け出し、今度はオリザ(イネ属の植物)栽培農家の赤髭の男のもとで6年間働く。この主人は山っ気の多い人物だが、人情家でもあった。ある日、ブドリにこう言う。「ブドリ、おれももとはイーハトーブの大百姓だつたし、ずゐぶん稼いでも来たのだが、たびたびの寒さと旱魃(かんばつ)のために、いまでは沼ばたけも昔の三分の一になつてしまつたし、来年は、もう入れるこやしもないのだ。・・・おまへも若いはたらき盛りを、おれのとこで暮らしてしまつてはあんまり気の毒だから、済まないがどうかこれを持つて、どこへでも行つていゝ運を見つけてくれ。」「これ」というのは、「一ふくろのお金と新しい紺で染めた麻の服と赤革の靴」だ。

 

これが、ブドリの人生の転機となる。彼は、イーハトーブ市にやってきて、そこでかねてより会いたいと思っていたクーボー大博士と出会う。学校に行き、そこでクーボー先生の授業を押し掛けで聴講したのだ。講義終了後、学生たちは先生にノートを示し、質問に答え、評価してもらうのだが、最後にブドリの順番が来た。先生は、「よろしい。この図は非常に正しくできてゐる」と、まずノートの出来映えを褒めた上で、いくつか質問する。

 

・「工場の煙突から出るけむりには、どういふ色の種類があるか。」

・「黒、褐、黄、灰、白、無色。それからこれらの混合です。」

・「無色のけむりは大へんいゝ。形について云ひたまへ。」

・「無風で煙が相当あれば、たての棒にもなりますが、さきはだんだんひろがります。雲の非常に低い日は、棒は雲まで昇つて行つて、そこから横にひろがります。風のある日は、棒は斜めになりますが、その傾きは風の程度に従ひます。波や幾つもきれになるのは、風のためにもよりますが、一つはけむりや煙突のもつ癖のためです。あまり煙の少ないときは、コルク抜きの形にもなり、煙も重い瓦斯がまじれば、煙突の口から房になって、一方乃至(ないし)四方に落ちることもあります。」

・「よろしい。きみはどういふ仕事をしてゐるのか。」

・「仕事をみつけに来たんです。」

 

博士は大いにブドリが気に入り、「面白い仕事がある。名刺をあげるから、そこへすぐ行きなさい」と言って、イーハトーブ火山局の仕事を世話する。ブドリを迎えてくれたのは、火山局の老技師ペンネンナームで、仕事についてこう説明する。「ここの仕事は、去年はじまつたばかりですが、じつに責任のあるもので、それに半分はいつ噴火するかわからない火山の上で仕事するものなのです。それに火山の癖といふものは、なかなか学問でわかることではないのです。われわれはこれからよほどしつかりやらなければならんのです。」

 

ここでちょっと脱線することをお許し戴きたい。先週、私が担当する学部学生のゼミで、警察官にふさわしい人を採用するには、どのような筆記試験や面接試験を行ったらよいかというケース素材を扱った。専門用語でいうと採用試験の「妥当性」(validity)いかんという問題だ。私は、クーボー大博士がブドリに対して行った質問ほど、火山局の技師としての適性を見極めるのにふさわしい質問はないと感心した。ブドリの答えは、自然現象を常日頃よく観察し、それを体系化、知識化している者でなければ出てこない。その前提として、自然そのものに対する興味や根気強さも必要だ。

 

話を元に戻す。ブドリは火山局で水を得た魚のように働く。行方不明だった妹のネリとも再会した。彼女はある親切な牧場主に拾われ、そこの息子と結婚したのだった。ところが幸せは長く続かない。ブドリが27歳になったとき、恐ろしい冷夏が再来しそうな様子になった。「このままで過ぎるなら、森にも野原にも、ちやうどあの年のブドリの家族のやうになる人がたくさんできるのです。ブドリはまるで物も食べずに幾晩も幾晩も考へました。」

 

ブドリはクーボー大博士に相談する。気層にCO2が増えれば暖かくなるか、カルボナード火山島を爆発させたら十分なCO2を出せるかと。

 

・「先生、あれを今すぐ噴かせられないでせうか。」

・「それはできるだろう。けれども、その仕事に行つたもののうち、最後の一人はどうしても遁げられないのでね。」

 

・・・

 

物語は次のように終わる。「そしてちやうど、このお話のはじまりのようになる筈の、たくさんのブドリのお父さんやお母さんは、たくさんのブドリやネリといつしよに、その冬を暖かいたべものと、明るい薪で楽しく暮らすことができたのでした。」

 

×   ×   ×

 

何と悲しく、温かく、崇高な物語だろうか。3.11のとき、役場にとどまって津波避難のアナウンスを続けたため、津波にさらわれてしまった若い女性がいた。ほかにも多くの「ブドリ」がいた。みんな「命を懸けて」などとかっこつけた台詞を吐く間もなく、逝ってしまった。

 


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