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パスカル「パンセ」-川の流れ(2) [パンセ]

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(承前)

 

「パンセ」ブランシュヴィック版459節の、エルサレムへ戻るためにバビロンの「川の上にすわらなければならない」とはどういう意味か、ブランシュヴィック版458節にヒントがある

 

「「すべて世にあるものは、肉の欲、目の欲、生命の誇りである。<官能欲、知識欲、支配欲>災いなのは、これら三つの火の川が、うるおしているというよりも燃えたっている呪われた地上である。さいわいなのは、それらの川の上で、沈まず、巻き込まれず、泰然として動かず、しかも、それらの川の上で、立ちもせずに、低い安全な場所にすわっている人々である。彼らは光がさすまで、そこから立ち上がらず、そこで安らかに休息したのち、やがて彼らを引き上げて聖なるエルサレムの城門にしっかりと立たせてくださるかたに、その手をさしのべる。そこではもはや高慢も彼らを責め、彼らを打ち倒すことはできない。とはいえ、彼らは涙を流す。それはすべての滅びるべきものが激流に巻き込まれて過ぎ去るのを見てではない。その長い流離の日のあいだ、たえず慕いつづけてきた彼らの愛する故国、天のエルサレムをなつかしんでである」(B458S460L545)。

 

«Tout ce qui est au monde est concupiscence de la chair ou concupiscence des yeux ou orgueil de la vie. Libido sentiendi, libido sciendi, libido dominandi. Malheureuse la terre de malédiction que ces trois fleuves de feu embrasent plutôt qu’ils n’arrosent ! Heureux ceux qui, étant sur ces fleuves, non pas plongés, non pas entraînés, mais immobilement affermis sur ces fleuves, non pas debout, mais assis, dans une assiette basse et sûre, dont ils ne se relèvent pas avant la lumière, mais après s’y être reposés en paix, tendent la main à celui qui les doit élever pour les faire tenir debout et fermes dans les porches de la sainte Jérusalem, où l’orgueil ne pourra plus les combattre et les abattre ! Et qui cependant pleurent, non pas de voir écouler toutes les choses périssables que ces torrents entraînent, mais dans le souvenir de leur chère patrie, de la Jérusalem céleste, dont ils se souviennent sans cesse dans la longueur de leur exil.»

 

どうやら、バビロンの「川の上にすわらなければならない」というのは、世俗の欲望から全く逃避するわけではないが、それに巻き込まれることなく超然としたある種の生き方を指しているようだ。だが、それが具体的にどんな生き方なのか、私には今ひとつピンとこない。

 

さらに、森有正が謎めいたことを言っている。彼の初期のエッセイ集に「バビロンの流れのほとりにて」と題するものがある。その「あとがき」に彼はこう記している。

 

「「バビロンの流れのほとりにて」は、1952年から56年にかけて書いた一連の手紙を、対信者の承諾をえて、一冊に纏めたものである。したがってこれは首尾一貫した論述とは全く性質を異にするものである。題は、パスカルの『パンセ』の一節から取った。意味は読者が自由につけて戴きたい。 1956年 初秋 ガール県ソミエールにて」

 

「バビロンの流れの上に」ではなく、「バビロンの流れのほとりにて」と言っているところからすると、パスカルの「パンセ」よりも、むしろ旧約聖書「詩編」との連想が働く。それならば、遠く日本を離れて、フランスで西欧思想と格闘する著者の望郷の念の表出ととれる。しかし、わざわざ「パンセの一節から取った」と断っているところを見ると、彼のある種の生き方の表明ともとれるだろう。

 

スイスやフランス、あるいはそもそもヨーロッパについてほとんど何の予備知識もないまま、ジュネーヴに着いた最初の数ヵ月間、私は森有正のエッセイ集をむさぼるように読んでいた。今は、その日々が懐かしい。

 


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