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パスカル「パンセ」-人間の不釣り合い(2) [パンセ]

2006_01SanFrancisco1253.JPG 

(承前)

 

パスカルの「パンセ」、「人間の不釣り合い」に関する一節の続きである(B72S230L199)。われわれは「無限」も「虚無」も知ることができない。そうであるなら、せめてわれわれの限度をわきまえよう、というのが前回の結論であった。しかしこれは、素朴な意味の不可知論とは違うと思う。もしそうであるなら、「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。«L’homme n’est qu’un roseau, le plus faible de la nature, mais c’est un roseau pensant.»B347S231232L200)とか、「考えが人間の偉大さをつくる。」«Pensée fait la grandeur de l’homme.»B346S628L759などとは言わないだろう。

 

パスカルは、人間は完全に知ることはできないが、完全に知らないでいることもできない、両極端の間で宙ぶらりんなのが、人間の真の状態だと言う。

 

われわれは確実に知ることも、全然無知であることもできないのである。われわれは、広漠たる中間に漕ぎ出でているのであって、常に定めなく漂い、一方の端から他方の端へと押しやられている。われわれが、どの極限に自分をつないで安定させようとしても、それは揺らめいて、われわれを離れてしまう。」«C’est ce qui nous rend incapables de savoir certainement et d’ignorer absolument. Nous voguons sur un milieu vaste, toujours incertains et flottants, poussés d’un bout vers l’autre. Quelque terme où nous pensions nous attacher et nous affermir, il branle et nous quitte.»

 

「われわれはしっかりした足場と、無限に高くそびえ立つ塔を築くための究極の不動な基盤を見いだしたいとの願いに燃えている。ところが、われわれの基礎全体がきしみだし、大地は奈落の底まで裂けるのである。」«Nous brûlons du désir de trouver une assiette ferme, et une dernière base constante pour y édifier une tour qui s’élève à l’infini, mais tout notre fondement craque et la terre s’ouvre jusqu’aux abîmes.»

 

「それゆえに、われわれは何の確かさも堅固さも求めるのをやめよう。われわれの理性は、常に外観の定めなさによって欺かれている。何ものも有限を、それを取り囲み、しかもそれから逃げ去る二つの無限のあいだに固定することができないのである。」«Nous cherchons donc point d’assurance et de fermeté. Notre raison est toujours déçue par l’inconstance des apparences, rien ne peut fixer le fini entre les deux infinis qui l’enferment et le fuient.»

 

ここまではいい。しかし、続いてパスカルはわれわれを厭世観の底に突き落とす。

 

「このことがよくわかったら、人は自然が各人を置いたその状態で、じっとしているであろうと思う。われわれの分として与えられたこの中間が、両極から常に隔たっている以上、人が事物の知識を少しばかりよけい持ったとしたところで、何になるであろう。・・・またわれわれの寿命は、それが10年よけい続いたとしたところで、永遠からは等しく無限に遠いのではなかろうか。」«Cela étant bien compris, je crois qu’on se tiendra en repos, chacun dans l’état où la nature l’a placé. Ce milieu qui nous est échu en partage étant toujours distant des extrêmes, qu’importe qu’un autre ait un peu plus d’intelligence des choses ? ... Et la durée de notre vie n’est-elle pas également infime de l’ éternité, pour durer dix ans davantage ?»

 

しかし、人間は自分の身近のあれやこれやを比べて、一喜一憂する。

 

「これらの無限を目の前におけば、有限なものはすべて相等しい。それで私には、なぜわれわれの思いを、他の有限でなく、ある一つの有限の上におくのであるか、その理由が分からない。われわれを有限なものとくらべることだけがわれわれを悩ますのである。«Dans la vue de ces infinis tous les finis sont égaux, et je ne vois pas pourquoi asseoir son imagination plutôt sur un que sur l’autre. La seul comparaison que nous faisons de nous au fini nous fait peine.»

 

確かにこういう言い方もできるだろう。しかし、一方でほとんどの人間は有限なもの同士を比較して、さまざまな感情を抱き、さまざまなことを考えたり、行ったりして、生き、そして死んでいく。そのことをどう考えるべきか、私にはまだわからない。

 

*写真は、サンフランシスコにて、太平洋に沈む夕日。

 


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