SSブログ

自動販売機 [経済]

2010_08Reims9872.JPG 

日本に来た外国人が、街のそこかしこに設置された自動販売機の多さに驚くという話を聞いたことがある。しかし、日本人にはあまりに日常的な光景のため、そう言われてもピンと来ないかもしれない。私もそうだった。しかし、ヨーロッパに行って、なるほどと、彼我のあまりに大きな違いに驚いた。

 

冒頭の写真は、フランスのランスで撮ったものだが、このような光景は実に珍しい。そして、この場合も自動販売機は歩道の上に出っ張って置かれているのではなく、屋根が付いたくぼみのコーナーの中に設置されている。日本でもこうした自販機コーナーはあるが少数派であって、多くの場合、単体で小売店の前などの軒先や歩道上に置かれている。少なくとも私が多少知っているフランス、スイス、イタリアについて言うと、そうした光景を見かけた記憶はない。

 

例えば、イタリアのミラノにスフォルツァ城という観光名所がある(写真↓)。城壁に囲まれた敷地はかなり広く、城内にはスペースも所蔵品も贅沢な美術館がある。私がここを訪ねたのは夏の暑い日だったが、ふだんからペットボトルなどを持ち歩く習慣がなく、必要ならどこかで買えばいいやと無防備なまま出かけてしまった。ところが、広い城内のどこにも水分を補給できる自動販売機やカフェの類がないのだ。1ヵ所だけ、建物の中に職員用の飲料の自販機を見かけたが、利用は職員オンリーで観光客は立ち入り禁止だった。

2009_08Milano9565.JPG 

 

私が見落とした可能性もあるので、インフォメーションデスクに行って聞いたところ、やはり城内には飲料類を飲める施設や売店はなく、外に出てミニトラックの出張屋台で買うしかないという。仕方なくそうしたが、コーラのミニボトルが15ユーロした! 屋台同士の競争が厳しい中心部(ドゥオーモ前の広場など)では、11.5から2ユーロだったが、それでも日本よりかなり高い(日本では120円程度)。

 

ここまでくると、エコノミストとして一体どういうことか考えざるを得ない。その経済的効果ははっきりしている。自販機による飲料等の供給が制限されれば、人的サービスによる供給(小売店の店頭やカフェなどでの販売)に需要は集中する。その結果、人的サービスを用いて販売する業者の売上は増え(ただし、自販機も含めたマーケット全体としての売上は少なくなるだろう)、高価格を維持しやすい。

 

わからないのは、なぜ自販機による供給が少ないのかという点だ。これは何人かのヨーロッパ人に聞いてみたが、結局よく分からなかった。上記のような経済上の理由(小売業者、飲食店の保護)、あるいはそれ以外の理由(街の美観を維持するなど)から何らかの規制があるのかもしれない。街中に自販機があると、壊されて中の金品が盗まれてしまうからだという人もいた(これを言ったのはマドリードの経済学者だ)。

 

また、ヨーロッパでは自販機の数がそもそも少ないので、その性能もあまりよくない。自販機の製造業者にすれば、製品開発を行ってもペイしないし、そこまで頑張らなくても売れるということだろう。パリの地下鉄駅のホームでも自販機は珍しいが、私が時々利用したベルシー駅のホームにはコーラなどの自販機があった。のどが渇いて仕方ないときに、23回買ったことがあるが、上から下にガチャンと炭酸飲料が落ちてくるので、取ってすぐに蓋を開けると中身が派手に外にあふれ出てしまった。幸いホームで待っている周囲のお客さんにかかることはなかったが、何度か注目を集め、冷や汗をかいたことがある。これ以外にも、前の商品がつっかえていて、希望した商品が出てこなかったことや、おつりが戻ってこなかったこともあった。

 

自動販売機を最大限活用し、それに代替する人的サービスの価値を低め、薄利多売を行っている日本。それに対し、自動販売機の活用を最小限に留め、それに代替する人的サービスの価値を高めているヨーロッパ。顧客が享受している便利さ、安さからすると、日本的システムの方が効率的と言えるだろう。しかし、より広い視点(虫の目ではなく鳥の目)から見るなら、ヨーロッパ的システムにもそれなりのメリットがある。

 

一つは、省エネ(自販機による電力使用を節約)、省資源(飲料容器に使われる金属やプラスティックの節約)という観点である。二つ目は、街の美観やカフェ文化の保存など、文化、歴史的価値の継承という観点である。三つ目は、人的サービスの価値を高めることの意義である。

 

三つ目の論点に関しては、競争制限によって人的サービスの価値を人為的に高めても、それは効率性の実現にはむしろマイナスであるという「エコノミスト」からの反論が予想される。しかし、こうした「競争制限」が共同体住民の自発的選択の結果だとしたらどうか。彼らからそのような選択を奪う権限は誰にあるのか。単に「グローバル・スタンダード」というあいまいなスローガンや、「市場原理主義」といった偏狭なイデオロギーでは十分な説得力に欠ける。これは日曜開店の是非とも共通する問題で、エコノミストもそこまで考えた上でモノを言わなければならない。

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。