SSブログ

島尾敏雄「春の日のかげり」 [読書]

ShimaoToshio.jpg 

男性心理の「分析」ということで言えば、忘れがたい思い出がある。高校時代、現代国語の教科書に島尾敏雄の「春の日のかげり」という短編小説が載っていた。あまりに思い出深く、30代のころ、ちくま日本文学全集(文庫版)の一冊として『島尾敏雄』を買い求め再読したことがある。彼の「出発は遂に訪れず」などもよいが、やはり「春の日のかげり」は思い出深い。

 

小説のあらすじはこうである。主人公の「私」は、長崎の学校の柔道部員だ(注:作者の島尾敏雄自身、長崎高商で学んでいる)。「ある春先のうららかな日曜日に」、私は柔道部のレクレーションで唐八景(注:長崎市の東南部にある眺望のよい公園)にピクニックに出かけた。そこで、部員たちは遠くに二人の若い娘を見つける。キャプテンが「突撃!」と叫び、みんな彼女たちに向かって駆けだした。気がつくと、キャプテンと私だけが先頭を切って走っており、ついに私は一人の少女に追いつく。

 

「自分をけしかけて、思い切って、少女の丸っこい肩をわし掴みにして、それでも、すぐうしろから来るに違いないキャプテンに、えものを差し出す、すがりつくような気持ちで、にこにこした表情を無理に作って振り向くと、何としたことか、他の者の姿はおろか、一緒に走って来たと思ったキャプテンまでが、岩乗な背中を見せて、遠い感じで頂上近くにあたふたと戻って行くのを認めただけでした。」私と少女は、ぎこちない会話を二言、三言交わす。少女の方は、まんざらでもないというサインを送るのだが、私は冷静ではおられず、「少女にくるりと背を向けてしまうと、うしろ髪を引かれる思いで、仲間たちの方へ戻っていきました。」そのあと、若干の解説や後日譚が続くが、小説のクライマックスは、あくまでもここだ。

 

この小説の何が思い出深いかというと、教科書に「『私』が仲間たちの方へ戻って行ったのはなぜですか。そのときの『私』の気持ちを説明しなさい」という質問が載っていて(似たような別の質問だったかもしれない)、それに対するクラスのAさんという女生徒の答えが実にショッキングだったことだ。彼女が、先生から指名されて答えたのか、自分から手を挙げて答えたのかは覚えていない。さらに言えば、彼女が何と答えたかも忘れてしまった。しかし、よく覚えているのは、彼女の答えが、あまりに男心の深層に立ち入ったもので、男である私でも、とても思いつかないようなものだったこと、そして、そのことに私が非常に衝撃を受けたという事実だ。

 

彼女は、学年でも評判の美人で、カレ氏もおり、おませな生徒だったということもあるかもしれない。しかし、それにしても、何で、そんなに男心を見透かしたようなことが言えるんだ、と私はショックを受けた。半ば感嘆、半ば憤激だったかもしれない。一方、私はと言えば、女性とつき合ったこともなく、女心など、高等数学以上に難解だった。実際、現代国語の成績はつねに数学より悪く、特に「文中の〇〇の気持ちとして最も近いものを次の中から選びなさい」などという質問は、半分以上の確率で不正解だった。

 

50代半ばの今になって、「春の日のかげり」を再々読し、上の質問に答えてみようとしたが、やはり高校時代から何の進歩もないようだ(笑)。あれから、人並みの人生経験は積んでいるはずなのに・・・。でも、今なら、もう少し自信を持って言える。人間の心の中なんて、そんなに簡単に言えるものなのか、と。ユゴーも言っているではないか。「人の魂の内部は海よりも、空よりも大きく、これ以上、恐ろしくて、複雑で、神秘で、無限なものはない」と(201235日付、本ブログ)。

 

 


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。