SSブログ

ブリューゲル「乞食」(1568年) [美術]

2009_12Louvre1691.jpg 

上の写真は、ルーヴルがブリューゲルの作品で唯一所蔵する画、「乞食」である。この画のタイトルとしては、しばしば「足なえたち」が使われているが、ここではルーヴルの説明文のタイトルに従う。以下、説明文を引用しておく。

 

Les Mendiants

Au revers figurent une inscription en néerlandais signifiant «Estropiés, que vos affaires soient prospères», ainsi que deux distiques en latin évoquant les talents du peintre qui rivalise avec la nature. Il s’agit de l’une des dernières œuvres de l’artiste. Les queues de renard que portent les mendiants ont suscité diverses interprétations : critique anti-espagnole, satire sociale ou plus simplement signes extérieurs d’une catégorie particulière : les mendiants estropiés.

 

<日本語訳>「乞食」

(この画の)裏側には、オランダ語で「障がい者よ、汝らの生業が栄えんことを」との意味の記述がある。また、ラテン語で書かれた2つの2行連句は、自然と向き合ったこの画家の才能を想起させる。この画は、この画家の最後の作品の一つである。乞食が身につけているキツネの尻尾はさまざまな解釈を呼び起こす。すなわち、反スペインの批判、社会風刺、あるいはより単純に、障害を持った乞食というある特殊な範疇の外形的特徴であるというものである。

 

ブリューゲルが、「謝肉祭と四旬節の争い」(1559年)で障がい者を描いたことは既に取り上げた(2012327日付)。そこでも述べたが、障がい者が画のモデルとして取り上げられるのは極めて珍しい。私のごく限られた知見の限りだが、ルーヴルでは他にフセぺ・デ・リベーラの「エビ足の少年」(1642年)があるくらいだ(写真)。

2009_12Louvre1056.JPG 

 

ブリューゲルは、なぜ障がい者にこだわるのだろうか。彼が、障がい者に対して特に優しい共感の眼差しを持っていた、ということはおそらくない。本ブログでは掲載を差し控えるが、「盲人の寓話」(1568年)などはあまりに残酷だ。また、現代の人権感覚からすると、障がい者も自分たちのことを描かれたくないと思うことは十分あるはずだ。例えば、少年時代に左目の視力を失ったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、右半面の顔写真しか撮らせなかったという。

 

そのような感情をいっさい抜きにして、現実を冷静に描いて見せたところにブリューゲルの凄さがある。さらに、彼の画には「美人」は登場しない。デブっとした農民のおっさんやおばちゃんなら、数多く登場する。ローズ=マリー・ハーゲン、ライナー・ハーゲン『ブリューゲル』(Taschen2008)は、冒頭に掲げた「乞食」の画について、次のようにコメントする。「ブリューゲルは、人間を神の似姿としてではなく、不完全な存在として見ていた。・・・ブリューゲルはこの絵の中で、動物と人間の間にはそれほど大きな差はないことを、他の絵には見られないほど明確に示している。足を取り去ることで、ブリューゲルは足なえから直立歩行を奪っているのである。ここにあるのは諦めの感情ではない。むしろ、事実の確認という感じの方が強い。また、憐れみの情も全く感じられない。明らかに16世紀においては、乞食に対する憐れみの感情はそれほど一般的なものではなかった。通りや教会の前にはあまりにもたくさんの乞食がいたからである」(pp. 90-91)。

 

また、彼らの次のような解釈にも、私は賛成である。「ブリューゲルは、ローマ、フィレンチェ、ヴェネチアなどで描かれていたように、人間に高貴な表情を与えるわけでも、何らかの精神的な観念に基づいて美化された姿を与えるのでもない。ブリューゲルは、文明化されていない自然な領域も人間の本質に属し、人間存在の土台を成していることを示したのである。肉体なしに精神はない。人間は自然から抜きん出た存在であるが、しかし自然の一部なのである」(p. 78)。

 

世の中は、ミケランジェロが彫刻したダヴィデや、ボッティチェリが描くヴィーナスのような「理想的」男女ばかりで成り立っているのではない。現実の男女はもっと不格好だったり醜かったりするのだ。高校の世界史の教科書でブリューゲルがイタリア・ルネサンスのセクションにおまけのように記述されているのを見るとかなり違和感がある(例えば、山川出版社の『詳説世界史 改訂版』2010年はそうだ)。ブリューゲルの凄まじいまでのリアリズムの精神は、おそらく16世紀オランダの商業的発展、近代的合理主義の芽生えと無関係ではない。

 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

ブリューゲルのパトロントロワの桜 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。