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カズオ・イシグロ「日の名残り」 [読書]

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パリのフランス語学校に通っていたとき、ひょんなことから話題が英仏の貴族制度比較論になった。そのとき、フランス人の先生が薦めてくれた小説(そして映画)がカズオ・イシグロの「日の名残り」(The Remains of the Day)だった。ヨーロッパ滞在中、カズオ・イシグロの愛読者だという人に、(アメリカ人も含め)何人か出会った。ひょっとしたら村上春樹より有名かもしれない。

 

私は、カズオ・イシグロという名前を聞いたことはあったが、その作品は読んだことがなかった。さっそくアマゾンから購入して読んでみた。土屋政雄氏の日本語訳には定評があるが、なるほど優雅で読みやすく、内容もとても面白かった。

 

大まかなあらすじを言うと、イギリスのある有力な貴族(ダーリントン卿)に執事として長年仕えた主人公(スティーブンス)が、第2次大戦後、新しい主人から休暇を取ってはどうかと勧められ、貴族の館ダーリントン・ホールから、港町ウェイマスまで自動車旅行に出かける。その途中、さまざまな人に出会っていろいろと考えたり、また過去の思い出話を語ったりしていくという内容である。

 

私が、特に面白く感じた点をいくつか、以下に記しておきたい。

 

第一。主人公の執事は、「偉大な執事とは何か」という問をずっと考え続けてきた。「一日の仕事が終わったあと、召使い部屋の火を囲みながら、この問題を飽きずに何時間でも論じ合ったことを思い出します」という(ハヤカワ文庫版、p. 42)。この話を印象深く感じたのは、私にも似たような経験があるからだ。私が今の職場に来たとき、KK先生という偉大な先生がおられ、同僚のKT先生やSH先生とともに何度も一緒に飲んだり、お宅に呼んでいただいたりしたことがある。そのときの話題の多くが、誰が偉大な学者かという人物月旦だった。

 

スティーブンスがたどり着いた結論は「品格(dignity)」である。「では、『品格』とは何なのか。じつは、ミスター・グレアムらと私が、夢中で論じ合った問題の一つがこれでした。ミスター・グレアムはいつも、品格とはご婦人の美しさのようなもので、分析は無意味だと言っておりました。しかし、私は反対でした。そのようなたとえは、ミスター・マーシャルらの品格を軽んずることになると思いましたし、それに、その考え方を突き詰めていくと、品格の有無は自然の気まぐれで決まってしまうことになります。醜いご婦人がいくら努力しても美しくはなれないように、初めから品格を持っていない人は、いくらそれを身につけようと努力しても、結局は無駄ということになってしまいます。たしかに、執事の大半は、いろいろやってみても、結局、自分は駄目だったと悟らざるをえないのかもしれません。が、それはそれとして、生涯かけて品格を追求することは、決して無意味だとは思われません」(pp. 48-49)。「品格の有無を決定するものは、みずからの職業的あり方を貫き、それに堪える能力だと言えるのではありますまいか。並の執事は、ほんの少し挑発されただけで職業的あり方を投げ捨て、個人的なあり方に逃げ込みます。・・・偉大な執事が偉大であるゆえんは、みずからの職業的あり方に常住し、最後の最後までそこに踏みとどまれることでしょう。外部の出来事には-それがどれほど意外でも、恐ろしくても、腹立たしくても-動じません」(p. 61)。ちなみに、KK先生も、時流に迎合して要領よくスタンスを変える学者はひどく嫌っておられた。

 

第二。スティーブンスと女中頭のミス・ケントンとの間ですれ違う(恋愛)感情である。お互い、些細なことで突っ張り合ってしまう。これは映画版では主要なモチーフとして取り上げられているが、私はあまり賛成できない。ここでは単にそのことを指摘するにとどめる。

 

第三。執事は主人にいかに仕えるべきか。これは、一般のサラリーマン社会でも難問だ。スティーブンスはダーリントン卿に仕えた日々に関し、一点の曇りもなく誇らしく思っている。しかし、ダーリントン卿がナチスへの宥和政策に荷担したことに対し、イギリスでは戦後多くの非難が起こり、スティーブンスに対しても旅行中、そうした批判がぶつけられる。彼の信念はそれでも揺るがないのか? 

 

小説の最後は、ウェイマスという海辺の町だ。ここで、スティーブンスはミス・ケントンと再会し、別れる。その二日後、桟橋前のベンチである男と一緒になる。その男は「夕方こそ一日でいちばんいい時間だ」と断言した。「人生、楽しまなくっちゃ。夕方が一日でいちばんいい時間なんだ」(p. 350)。そして、スティーブンスはこの男が去って20分後、つぎのように思った。

 

「人生が思いどおりにいかなかったからと言って、後ろばかり向き、自分を責めてみても、それは詮無いことです。私どものような卑小な人間にとりまして、最終的には運命をご主人様の-この世界の中心におれらる偉大な紳士淑女の-手に委ねる以外、あまり選択の余地があるとは思われません。それが冷厳なる現実というものではありますまいか。あのときああすれば人生の方向が変わっていたかもしれない-そう思うことはありましょう。しかし、それをいつまでも思い悩んでいても意味のないことです。私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がいたします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚えてよい十分な理由となりましょう」(pp. 351-352)。

 

ラストのシーンには加古隆の「黄昏のワルツ」が似合うと思う。そして、私も何だか力をもらったように感じた。

 


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ビル

素敵な本ですね
私も早速読んでみたくなり購入します
何かにいきづまった時に支えになるような気がしますね
haofuさんのblogは深く考えさせられる内容ですが綺麗な文章で分かりやすく毎日読むのを楽しみにしています
by ビル (2012-03-21 23:36) 

haofu

ビルさま、コメント、どうも有り難うございました。ごく限られた人にしか知らせずにスタートしたブログ故、どなたかからコメントを頂くとは全く予期していませんでした。このため1と月以上も気がつかず、申し訳ありませんでした。
ビルさまのお歳は存じ上げませんが、私のように50数年、人生を送ると、はたしてこれでよかったのかと、何かと思い返さざるを得ません。過ぎ去った過去を今さらどうすることもできないことは、理屈ではよく分かっているのですが・・・。
by haofu (2012-04-28 23:38) 

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