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ベリンツォーナ [スイス]

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スイス(ジュネーヴ)には20089月から20098月までの1年間住んだ。その間、フランス語圏、ドイツ語圏にはそこそこ旅行したが、残り期間も少なくなってきたとき、イタリア語圏はまだどこも行っていないことに気がついた。そこで8月のとある日、イタリア語圏への旅行を思い立った。ちょっと調べた上で行き先として選んだのは、ベリンツォーナ(Bellinzona)という小さな街だ。世界遺産に登録されたお城が3つもあるということで興味をもったのだ。朝早くジュネーヴを発ち、ルツェルンで列車を乗り換え、昼前に到着、帰りは同じルートで夕方にベリンツォーナを発ち、ジュネーヴ着は夜中過ぎという日帰りの強行軍だった。ただ、日の長いヨーロッパの夏は、こうした旅程でも十分楽しめる。

 

まず、町の中心にカステルグランデ(大城)がある(冒頭の写真)。その東側の小高い丘の中腹にはモンテベッロ城がある(写真)。

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さらに、第3の城、サッソ・コルバロ城を目指して、坂道を上っていった。途中、ふと南方に目を向けると眺望が開けているのに驚いた(写真)。その奥には、北イタリアのマッジョーレ湖が見えた。これはちょっと感動的な光景だった。おそらく、古来、アルプス以北からイタリアを目指した旅人たちは、ベリンツォーナにたどり着いて初めて、山越えが終わったなと実感したに違いない。

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一方、イタリアからアルプス以北を目指した旅人たちは、これから先に待ち構えている厳しい山越えを前に、気を引き締めたに違いない(ベリンツォーナから北方を臨む)。

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これと似た情景は日本でも経験したことがある。数年前の夏のある日、木曽路の妻籠から旧中山道を通って馬籠まで歩いたことがある。途中の馬籠峠までは山の中の登り道だが、馬籠峠から先は急に広く明るい眺望が開けるのだ。馬籠宿が数年前、長野県木曽郡から岐阜県中津川市に編入されたというニュースを聞いたが、実際に妻籠から馬籠まで歩いて、その理由がわかった気がした。

 

しかし、ベリンツォーナは明らかに北イタリア圏に属しておりながら、スイス連邦の一州(ティチーノ州)として留まる。これがスイスの面白いところだ。3大文化・言語圏がそれぞれの独自性を捨てることなく、連邦国家を形成し、周囲の強国(ドイツ、オーストリア、フランス、イタリア)を上回る1人当たり所得水準を実現している。その経済的達成は、連邦国家形成の動因であるとともに、結果でもある、というのが私の仮説だ。

 


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