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ゴッホ「貧者とお金」(1882年) [美術]

Gogh_the_poor_and_money.JPG 

上の写真を見て、これは誰が何を描いた画かわかる方はどれほどおられるだろうか。もし私に問われれば、画家は見当がつかない、作風は印象派のような気がする、場所は教会か役所の入口だろうか、と答えるのが精一杯だろう。

 

答えは、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの「貧者とお金(The poor and money)」(1882年)である。私は、この画の実物を見たわけではない。アムステルダムのゴッホ美術館で買ったガイドブック(Vincent van Goghlife, work and contemporaries)の14ページに載っていた写真だ。少なくとも私が同美術館を訪れた20106月には、一般展示されていなかった。ガイドブックの解説には次のようにある。

 

In The Hague Van Gogh mainly concentrated on drawing. He composed this scene of people waiting in front of the lottery office from various sketches drawn on location. ハーグでヴァン・ゴッホは主に画くことに専念した。彼は、宝くじ販売所の前で待つ人々のこの光景を、現場で描いたさまざまなスケッチをもとに構成した。

 

この画を見て、私は2つのことを思った。一つは、ゴッホの初期キャリアについて、もう一つは、所得水準とギャンブルの関係についてである。

 

まず、ゴッホの初期キャリア。ゴッホは、1853330日、ベルギーにほど近いオランダの町Zundertに生まれ、1890729日、パリの北方Auvers-sur-Oise37歳の若さで自殺した。プロの画家としてのキャリアは1880年から1890年の10年間に過ぎない。16歳の時(1869年)、ハーグでフランスの画商の助手の職を得て、同社のロンドン支店、パリ本店に勤務するが、1876年に解雇される。ついで、ベルギーの炭鉱地区でプロテスタントのアマチュア牧師の職を得る。「炭鉱のキリスト(Christ of the Coal Mine)」と呼ばれるほど、貧しい人々と積極的に関わったが、そのせいもあって、牧師職の任期は更新されなかった。既に27歳(1880年)、彼は将来のキャリアに関し途方に暮れる。そして、兄テオの勧めによって、自分も確信を持てないまま、プロの画家を目指すことを決めた。当初は独学で、そして1881年からはハーグで従兄弟の画家から絵画を習い始めた。(以上の記述は、ゴッホ美術館のガイドブックによる。)したがって、冒頭の画は、この画家としてのキャリアのごく初期のものだ。この画のモチーフには貧しい人たちへの共感がうかがわれ、彼が当時学んだ遠近法の手法も活かされている。

 

この画を見てもう一つ思ったのは、所得水準とギャンブルの関係である。私は、昔、アメリカの大学院で統計学のTA(教育助手)をしていたことがある。週2回の(補習)授業と宿題、試験の採点が仕事だった。あるとき、試験問題の中に、「下のデータは、ニューヨーク州の所得階級別、宝くじへの支出割合を示したものである。低所得者ほど宝くじへの支出割合が高いと言えるかどうか統計的に検定せよ」というのがあった。確か、答えはYesだったと記憶している。ゴッホのこの画は、ヨーロッパでも事情は同じであることの状況証拠と言えるかもしれない。

 

連想はさらに続く。私がフランスに滞在していた2010年、日本では「事業仕分け」というイベントが話題だったようだ。一度、ネットで、宝くじに関係する財団法人がやり玉にあがっているのを見たことがある。宝くじの売上金のうち、当せん金として配当されるのは半分弱(45.7%)に過ぎず、残りは「経費」(14.2%)と「収益金」(40.1%)に当てられている。後二者の中には無駄な支出が含まれており、とりわけ天下り役員への法外な報酬はけしからんという議論だった。そして、「庶民の夢を大切にしたいので、当せん金への配当割合をもっと引き上げよ」という主張を何人かの「仕分け人」が述べていた。

 

私は、別に天下り役人の高額報酬を是認する気はないが、「仕分け人」の議論にも偽善的な臭いを感じた。役員報酬を少々削ったところで、宝くじというのは、平均していうなら、税率5割の「消費税」に他ならない。税金の代わりに公共サービスのための費用を(高率で)徴収するというのが公的ギャンブルの本質的目的なのだから、そうならざるを得ない。しかし、購入者が低所得層に偏っているとするなら、通常の財・サービスに対する消費税以上に、所得分配上の逆進性を懸念する必要があるはずだ。そもそも、「庶民の夢を大切にしたい」というが、宝くじのような博打にしか「夢」を託すことができない社会の閉塞感にこそ問題があるのではないか。人生やキャリアについて、もっと真っ当な夢を持てる世の中にすることこそが政治家の責務ではないのか。仕分けされる側も、する側も、情けないと思った。

 

ところでゴッホ美術館で買ったガイドブックの巻頭言の末尾に、館長さんがゴッホの次の言葉を引用していた(18831111日のゴッホの言葉)。

 

And - my plan for my life is to make paintings and drawings, as many and as well as I can - then, when my life is over, I hope to depart in no other way than looking back with love and wistfulness and thinking, oh paintings that I would have made! それから、私の人生計画は、できるだけたくさん、できるだけうまく絵画を描くことだ。そして、人生が終わったとき、「ああ、私が描いた画よ!」と(自分の作品を)愛情と哀惜の念を持って振り返り、かつ考えること、それ以外は何も望まない。

 

彼は、30歳の時に語ったこの夢を十分に実現したのではないだろうか。素晴らしい。

 


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