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マグリット展(国立新美術館、2015年6月) [美術]

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六本木の国立新美術館で開催されている「マグリット展」を見に行ってきた。雨が降る平日の朝、10時の開館と同時に入場したこともあり、比較的ゆっくりと見ることができた。そのせいか、いつもよりていねいに画の横の解説文を読んだりしたが、頭が混乱することが多かった(笑)。

 

例えば、馬に乗った女性が林の中を通り過ぎる「白紙委任状」という謎めいたタイトルの画。雑誌インタビューに答えて、マグリットは次のように言ったという。「白紙委任状とは、彼女にやりたいようにやることを認めるものです。目に見えるものは、隠されて目に見えなくなることがあります。しかし、目に見えないものはけっして隠されません。それは、おそらく無視されるのです。現れないのです。感情は、目に見えないものです。オブジェは目に見えます。・・・」 うーむ。あるものが目に見えないとして、それは何かに隠されて見えないのか、元々見えないから見えないのか、どうやってわかるんだろう。感情は「目に見えない」というが、本当に見えないだろうか? 考え出すとよくわからない。

 

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つぎの瓶と人参の画も単純と言えば単純だが、タイトルが「説明」(l’explication)とあるから考え込んでしまう。瓶と人参の横にある第三の物体が何かを「説明」せよというのだろうか。色や形は瓶と人参の属性を部分的に引き継いでいるが、その用途は皆目見当がつかない。展覧会の解説本には、「瓶と人参との間の「隠された」親和性が、まさにその形態にあったことは明らかであろう」とあるが、私にはちっとも「明らか」でない。

 

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ヌードの女性の肌が、部分的に木目に変容しているさまを描いた少々キモイ作品もある。「発見」というタイトルで、マルグリットは、ある手紙の中でつぎのように書いているという(展覧会の解説本、88ページ)。

 

私は絵画においてひとつの重要な発見をしたようです。これまで、私は複数の物を組み合わせてきました。もしくは、ある物をただ置くことがそれを神秘的にするのには十分な場合もありました。しかし、ここで行ってきた探求の結果、私は新しい事物の可能性を見つけたのです。- それは、事物が「次第に」何か別のものになるという能力です。ある物が、別の物へと「溶け込んでいく」こと。例えば、空のある部分が木に見えるようにするのです。これは、私にとって物を組み合わせるのとは、全く違うもののように思われました。なぜなら、この2つの物質の間には、断絶も境界もないからです。この方法によって私は、目が普段とは全く違うやり方で「思考」しなくてはならないような絵画を生み出します。

 

上で見た瓶と人参と第三の物体も、こうした変容の系なのかもしれない。しかし、そうだとしても、いったい目はどのように「思考」したらよいのだろうか。

 

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