明治村(4)-4丁目 [日本]
この地区では、私の親戚にブラジル移民がいることや、私自身ハワイで2年間暮らしたことなどから、「39.ブラジル移民住宅」や「40.ハワイ移民集会所」が興味深かった。ハワイは、1990年代の半ば、ホノルルのある研究所に勤めていたのだが、そこにマリーという60代の日系女性が経理部長で働いていた。ほかにも日系人は多かったが、その誰とも日本語で話したことはない。実際、2世以降では話せない人が大半だ。しかし、マリー自身は子供のころ両親とともにハワイに来たと言っていたので、両親の日本語を聞いて育ったはずだ。彼女はあるとき、日本語を話さない理由を私にさりげなく言ったことがある。「日本語で銭(ぜに)というのは貧乏人が使う言葉なんでしょ。私の知っている日本語はそういう言葉だから。」
34.第四高等学校武術道場「無声堂」<石川県金沢市>
*柔道、剣道、弓道の3つの道場からなっており、大正6年(1917年)に建てられた。「無声堂」の名は「孫子 虚実篇」から取られたものという。
35.日本赤十字社中央病院病棟<東京都渋谷区>
*日本赤十字社の前身は、明治10年(1877年)、西南戦争の際に設立された博愛社。その後、明治19年(1886年)、日本のジュネーブ条約加入に伴い、翌明治20年(1887年)社名を日本赤十字社と改称し、万国赤十字社に加盟した。
36.歩兵第六聯隊兵舎<名古屋市中区>
37.名古屋衛戍(えいじゅ)病院<名古屋市中区>
*明治11年(1878年)に設立された旧日本陸軍の病院。衛戍病院とは衛戍地(軍隊が常駐して防衛する重要地域)の病院の意。
38.シアトル日系福音教会<アメリカ・ワシントン州シアトル市>
39.ブラジル移民住宅<ブラジル・サンパウロ州レジストロ市>
40.ハワイ移民集会所<アメリカ・ハワイ州ヒロ市>
*明治22年(1889年)の建設で、ハワイ島へ移住した日本人が教会として用い、その後、集会所として利用した。
41.六郷川鉄橋<東京都蒲田・神奈川県川崎間>
42.尾西(びさい)鉄道蒸気機関車1号
43.蒸気機関車12号・9号・三等客車
*蒸気機関車は、「44.鉄道寮新橋工場(機械館)」の裏手(「SL名古屋駅」)と、明治村の北口(「SL東京駅」)の間を走っている。この写真は、「64.菊の世酒蔵」の裏手で撮った。ロープをはった通路が線路脇まで伸びていたが、おそらく「撮り鉄」用に造ったのであろう。
44.鉄道寮新橋工場(機械館)<東京都品川区>
45.工部省品川硝子製造所<東京都品川区>
46.宇治山田郵便局舎<三重県伊勢市>
47.本郷喜之床(きのとこ)<東京都文京区>
*明治末年ころに建てられた床屋。この建物の2階を石川啄木が家族とともに間借りしていたという。
48.小泉八雲避暑の家<静岡県焼津市>
49.呉服座(くれはざ)<大阪府池田市>
50.半田東湯(はんだあずまゆ)<愛知県半田市>
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